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[#T3508]の延長で魏呉蜀の経済政策を調べていたのですが、塩の専売制についてわからないことが出てきたので皆さまのお智慧を貸していただきたく投稿しました。
以下3点につきまして見解をお聞かせいただければ幸いです。
1.「較鹽鐵之利」はどのように訳すべきか?
ちくま学芸文庫『正史 三国志5』(呂乂伝)P.268に『(塩府校尉を)設置して、塩と鉄の専売による利益をはかったが(後略)』、(王連伝)P.308に『(王連は)司塩校尉に昇進し、塩・鉄の利益を全面的に管理し、国庫の収入がひじょうにふえ、国の予算に利するところがあった』とあります。
しかし、原文では「初,先主定益州,置鹽府校尉,較鹽鐵之利」(呂乂伝)、「遷司鹽校尉,較鹽鐵之利,利入甚多,有裨國用」(王連伝)とあるだけで、専売を意味する語はないように見えます。
「較鹽鐵之利」についても、漢和辞典で「較:くらべる・きそう・あきらかにする・車の横木」とあるだけで「全面的に管理する」とは読めませんでした。
較の字にそういう意味はあるのでしょうか。
2.本当に蜀(および魏呉)で塩や鉄の専売が行われたのか?
陶元珍著『三國食貨志』の「正文•七、工商業」では、『魏蜀吳似皆專賣鹽(魏蜀呉ではみな塩は専売であった、という意味?)』として魏志衛覬傳(塩の売買を監督すべしという進言)・蜀志王連傳・蜀志呂父傳・吳志孫休傳の「司鹽校尉駱秀」の記述を挙げています。しかし、専売であったということの根拠は特に書いてありません。また、鉄の専売については触れられていないようです。
『三國志集解』も読んでみたのですが、塩府や司塩校尉の職務などの解説はとくにありませんでした。
専門の官職がある以上、(鉄については不明ながらも)塩の生産・流通・販売に何らかの形で国家が介在していたのは間違いないのでしょう。
しかし、それをもって専売(一元的な管理)と断定してもよいのでしょうか。
3.専売制が布かれていたという証拠は?
日本語版wikiほか多くのwebサイトや書籍で「蜀では塩鉄の専売がされていた」旨の記述を見かけ、おまけに何故か諸葛亮の業績にされていたりしますが、実際のところこれを裏付けるような記録や出土史料というのは存在するのでしょうか。
西嶋定生著『中国古代の社会と経済』などを読んでみると、専売制については前漢から唐代まで時代が跳んでおり、蜀(および魏呉)の話は出てきません。確認したわけではないのですが、「三国時代に専売制があった」というのは割と新しい(ここ20〜30年の)説なのでしょうか。
2.とカブりますが、「監督する役所があった=専売制」でなく、具体的な証拠が必要なのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。あるいはそういった記録などが存在していて、わたしが知らないだけでしょうか。
何かご存知のかたがおられましたら、ご教示いただきたいと思います。
今まで「蜀では塩鉄の専売がなされていた」というのが通説だと思い疑いもしませんでしたが、にわかに自信が無くなりました。皆様は実際のところ、どうだったと考えておられるでしょうか。
よろしくお願い申し上げます。
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