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以前別のサイトに連載した時の私の意見を要約して掲載します。
好意はむしろ、孫権から曹操への方が強かったと思われます。
1.孫権は、戦時の公式の場では部下の手前もあって「老賊」呼ばわりすることもあったが、平時や非公式の場では「孟徳」と親しみを込めて字で呼ぶことも多かった。
2.呂蒙・蒋欽に学問を勧める際、光武帝と曹操とを並列して二大手本として扱っている。彼の中で曹操は、光武帝に匹敵する存在だったようだ。
3.虞翻を殺そうとした時の言い訳は、「曹孟徳も孔文挙(孔融)を殺したのだから、私も虞翻を殺していいはずだ。」というものであった。曹操ですらやった悪事なら自分もして良いというのは、曹操が自分より格上の存在でなければありえない発言である。
4.陸遜が曹叡を称えた時、孫権は諸葛瑾に「曹操>曹丕×10000>曹叡×100000000」という見解を披露した。
一方で曹操は、孫権をあまり尊敬していない。
1.曹操は劉備については、「劉備は自分と同等の能力の持ち主だが、策を思いつくのが遅い。」とかなり高い評価をしている。対して、孫権を唯一誉めた発言も、孫権は劉販ュ坊残錣茲衢ヘクタール修箸いΔ世韻里發里任△襦」
2.孫権が「臣」と称して漢魏革命を提案してきても、孫権を「児(餓鬼)」扱いしている。
3.関羽を討伐する戦争に参加したいという孫権の曹操宛ての手紙は、関羽を退却させて孫権と争わせるべきという董昭の献策により、矢文にされて関羽に贈られた。
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