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▼青木朋さん:
>筑摩書店『正史三国志』魏書后妃伝 には、
>「甄逸は五人の女子をもうけた。長女は甄姜、次女は甄脱、三女は甄道、四女は甄栄で、その次が甄后であった」
>とあり、甄氏の名前は載っていません。
鶴子さんのおっしゃるとおり、その部分は三国志魏書后妃伝の注に引く魏書です。
魏書曰:逸娶常山張氏、生三男五女:長男豫、早終;次儼、舉孝廉、大將軍掾・曲梁長;次堯、舉孝廉;長女姜、次脱、次道、次榮、次即后。后以漢光和五年十二月丁酉生。
それと不思議なのは確かに三国志魏書后妃伝には生年は載ってませんが、その注に引く魏書に上記のようにはっきりと光和五年(西暦182年)と書かれています。手元の三国志の筑摩訳本(ハードカバー)にも書いてます……と、もしかして文庫本ではその部分が抜けているとかでしょうか?…抜け落ちているのはごくたまにあることなので(汗)
>また、甄氏の生年が182年というのも、魏書后妃伝には記録がありません。
>出典をご存知の方がおられたらお願いします。
名の「洛」なんですけど、なかなか出典がわからないですね。
ネットだと、藤水名子/箸「公子曹植の恋」の創作だ、いやいやそれより前に陳舜臣/箸「秘本三国志」に「洛」とでていた(後者については私は未確認)、とか見かけました。
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