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▼矢鵜さん:
>はじめまして、矢鵜と申します。
>早速で悪いのですが、質問があります。
どうも初めまして〜
>演義では、反董卓包囲網のときに兵糧輸送を担当した袁術が、
>孫堅に兵糧を送らなかった、という話があり、それにより華雄に敗れた
>となっています。
>しかし正史では、華雄を打ったのは孫堅。
>まさか、敗走しているときに打つというのは考えにくい。
>と、すると?袁術が兵糧を送らなかったのは嘘?
>そして、その敗走のときに祖茂が打たれたのも嘘?
三国演義のフィクションはしらないですけど、とりあえず陳寿撰の三国志に疑問点が乗ってそうなのでそこから引用です。
堅移屯梁東、大為卓軍所攻、堅與數十騎潰圍而出。堅常著赤ケイ[巾責]、乃脱[巾責]令親近將祖茂著之。卓騎爭逐茂、故堅從間道得免。茂困迫、下馬、以[巾責]冠冢間燒柱、因伏草中。卓騎望見、圍繞數重、定近覺是柱、乃去。堅復相收兵、合戰於陽人、大破卓軍、梟其都督華雄等。是時、或間堅於術、術懷疑、不運軍糧。
※表示できるよう、一部、文字をかえてます。
適当に訳しますと
孫堅は梁東に駐屯地をうつすと、大いに董卓の軍に攻められる、孫堅と数十騎は包囲をつぶし外に出た。孫堅はつねに赤いケイ[巾責]をかぶっていて、[巾責]を脱いで、親近將(側近武将?)の祖茂にそれをかぶるよういいつけた。董卓の騎兵は祖茂を競って追ったので、孫堅は抜け道からのがれることができた。祖茂はあやうくなり、馬をおり、塚の間の焼けた柱に[巾責]をかぶせ、草の中へ伏せた。董卓の騎兵とおくから見て、何重にも取り囲み、近づき、その柱のことをしり、去った。孫堅は再び兵をととのえ、陽人で合戦し、大いに董卓の軍を破り、その都督の華雄たちをさらし首にした。このとき、ある人が袁術から孫堅をへだて、袁術は懐疑し、軍糧を運ばなかった。
てな感じです。
>もう一つ質問があります。
>祖茂と、孫策と戦った祖朗が同一人物とあるサイトに書いていましたが、
>本当でしょうか?
祖茂と祖朗が同一人物ってのは初耳ですね。出所が気になります〜
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