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▼清岡美津夫さん:
>厳顔と劉璋との会話(華陽国志)です。
↑これ、おもっきり私の勘違いです。
チェック、適当すぎです(汗)
えーと時代背景は、やっぱり「むじん書院」から引用して…
(三国志列伝抄の補伝あ行、王累のところです)
(引用はじめ)
建安十六年(二一一)、曹操が張魯討伐のため漢中に軍勢を差し向けたと聞き、それを恐れた益州牧劉璋は、別駕従事張松の献策を容れて荊州から劉備を招き入れようとした。王累は我が身を州城の城門に逆さ吊りにして諫めたが、劉璋は聞き入れなかった《劉璋伝》。王累はその計画の不可を主張するため、城門において自刎して果てた《華陽国志》。
(引用終わり)
というような時代背景で、厳顔のセリフがでてきます。
劉主至巴郡、巴郡嚴顏拊心歎曰:「此所謂獨坐窮山、放虎自衛者也。」
(例によって適当に訳して)
劉主(劉備)は巴郡に到着し、巴郡の厳顔はむねをなでて嘆いていった「これがいわゆる、遠い山で一人、座り、虎を放ち自らを守る者ってやつだ」
えーと、訳してもよくわからないのですが、「自殺行為」のたとえ話でしょうか…
あと、三国志と同じで、張飛に捕らえられるシーンがあります。
但し、ここでは巴郡太守は巴西の趙筰って人で、厳顔は「将軍」だそうです。
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