|
▼孫ぽこさん:
>♪某スレいつも拝見しております。
光栄です。こちらこそ、最近は魯粛伝楽しみに拝見しております。
今私が赤壁ネタを続けているのもそれが刺激になってます。
どこかで名無しでもいいので感想やご意見ご指摘など頂ければ幸いです。
>皇帝の子であってもやはりそうですか。そうなると、魯王に封じられたはずの孫覇の待遇が、皇太子である孫和とほとんど一緒で、同じ宮殿に住んでいたという、二宮の変の異常さが浮き彫りになってきますね・・・。怨霊様も某スレでおっしゃってましたが、孫権ってば、かなり既存の制度を無視しまくっています。
たしかにそうですね。呉は豪族連合政権的な支配体制に合わせるためか、
漢の伝統的な官制からは外れた部分が結構多いかもしれません。
>>ただし後漢以降ではかなり弱体化していて、諸侯王の「相」(旧名「丞相」)が郡太守と同等のものとして事実上国を統治しました。
>
>諸侯王という事は、宗室王(皇帝の子等)の場合は、軍権は与えられていたのでしょうか?
領内の軍事・警察は中尉の職掌です。名目上は王が最高司令官かもしれませんが、
どちらにしても狭い領内の軍事のみですので、
広大な領地と兵力を持つ国に封建されたのでなければ軍権というほどの力は無かったと思っていいのではないでしょうか。
王が軍権を有する場合、将軍位などを持つものと思われます(例:晋の八王など)。
|
|