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▼清岡美津夫さん:
いつも、丁寧なレスをありがとうございます。
紹介いただいたところを、一通り拝見しましたが、やはりわからない、と言うのが正確な話のようですね。専門家は適当な推測で話を出来ないと言うこともあるのでしょうが(正直、内容が専門的過ぎて、私が少しついていけないということもあります)。国の制度や集計方法が違う(または不明、資料の信憑性等も含め)から仕方ないのかもしれません。
私自身、疑問が少し曖昧すぎたきらいがありますので、もう少し範囲を絞って、再度質問をさせてください。
1.兵(10万人)や吏(4万人)は口数に含まれるのか?
紹介頂いた『中国中世の人口の減少』によると「当時の人口記録は徴税のための記録」と書かれています。ということは、生産に携わらない人である役人は口に含まれない可能性も考えられます。
民屯も役人として国の管理と考えると、それも数に入らない可能性も。
2.魏呉に比べ蜀が戸数あたりの人が少ない理由?
私は、個人的には、平民に男児が二人以上の場合には一人を兵か民屯に供出させていたのではないかと、想像しています(根拠はありませんが)。そうでも考えないと少なすぎます。
紹介頂いた『「長沙呉簡の世界」ノート3』の『(3)名籍にみえる戸人と戸数・口数』での長沙呉簡の名籍中の戸人の年齢分布(総数406人)によると、男女内訳が男子391人、女子15人。このあたり、男並みに働ける女性以外は数に入っていないのかなと妄想してしまいました。
専門家でも意見が分かれているのですから、推測でかまいません。ご意見をよろしくお願いいたします。
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