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ご無沙汰しております。この件は恥ずかしながら忘年会の際にげんりゅうさんにお聞きするまで全く気づかず、この場をかりてお答えというのはおこがましいので自分なりに多少考察をしてみたいと思います。
漢詩が韻をふんでいるか調べる際、現代中国語である程度解ります。
今回の「蒼天已死 黄天當立 歳在甲子 天下大吉」について各句の最後の字のピンインを見ると
死 si3
立 li4
子 zi3
吉 ji2
と、韻が各句すべてにおいて踏まれていることがわかります。所謂唐詩においてはこのように全句に韻を踏むことはありえませんが、それらの規定は梁の沈約(しんやく)が『四声譜』で唱えたいわゆる「四声八病説」により確立したもので、漢代以前の詩や楽府を含む古体詩には、文字数、平仄などの規定はありません。しかし規定がないゆえに曹操は宴席で歌われる曲つきの「楽府」を得手としたため韻はあまり気にせず、逆に文帝曹丕の詩はその性格のごとく律儀に全句に韻を踏むものが多い、といった分析も可能です。もしかすると、このスローガンは相克に基づく王朝交代というもっともアピールしたいことをいいつつ、文学的処理で全句押韻をし、多数で叫ぶときの一体感を演出していたのかもしれません。
それから、前漢から詩がつくられていたか、また作者はわかるか、とのことですが、詩の起源は、古くいってしまえば西周代にさかのぼります。当時は民間の詩を収集する官職があったほどです。それ以後、前述のとおり文字数、平仄などの規定がない詩は読み書きの出来る程度の人間であればたしなんでいたようです。しかし賦などの長編と違って簡単に作れる詩の地位は高くなく、作家や作者としての名はありません。またwikiのいう前漢というのはおそらく蘇武の「雁書」の故事を念頭においたのかと想像しますが、こちらは今日では後世の偽作と確定されています。
その後漢代を通じて詠まれた詩を集合したものに『古歌十九首』があり、これらはその作風などからも注目されるものですが、いずれも無名氏であり、官僚や、辺境防御の任に就いていた兵士のものと目されるものもあります。
すなわち、張角をはじめ黄巾一党には知識があり、読み書きの達者な郷士クラスのものもいたことから、彼あるいは彼らによって「蒼天已死 黄天當立 歳在甲子 天下大吉」というコピーが作られることはなんら不思議ではないと考えます。
ちなみに詩によってその作者名が記される第一は曹操であり、それが彼が「中国最古の詩人」とも評されるいわれでもあります。
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