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おっしゃっている「城」の意味がなかなかよく分からない部分もあるのですが、レスさせていただきます。
>曹操や劉備など、君主の立場にある人物はもちろん「城」に住んでいたわけですよね。
>(「城=城下町」という話を聞いたことがありますが、
>ここでは敢えて「君主の住居」という意味で使わせて頂きます)
中国の場合の多くは「城郭都市」です(四方に城壁があります)。
で、イメージしやすく言えば、昔の京都に近いです。
まず城壁があります。規模にもよりますが大きいものは1辺が数キロとか、小さい県レベルでは数百メートルとかです。内部は格子状に道路があって、市場や民居があり、君主の住む宮殿があり、政治をする役所があります。部下たちは、官僚ですので、基本的には与えられた官舎に住みます。これが漢魏くらいでは基本かと思います。官舎は役所に併設されていることが多いと思います。
なかなかイメージがつかみにくいかと思いますが、とりあえず以上ご参考までに。
>あるいは、武人などは外敵の侵入等を見張る意味も込めて、
>領地の外側に住まっていたりしたのでしょうか。
これは三国時代ではほとんどなかったと思います。
また武人とは言うものの、基本的には官僚ですので、一応決められた官舎に住みます。「領地の外側」という意味がよくつかめませんが、城郭都市の外側に、場合によっては駐屯することもありましたが、それはあくまで臨時的なものと思います(少し後の晋南北朝ではよく出てきますが)。
>西洋史などでは、騎士や貴族は領地を持っていて、
>土地や民を守るためにそこに城を持っていたりしますよね。
>でも、中国史…特に三国時代のような戦国の世ではどうなっていたのでしょうか。
いわゆる中世ヨーロッパではそういうイメージがあります。
中国の三国時代をどう見るか(中世とみるか見ないか)は難しい問題ですが、三国時代の「貴族」や「武士」は、基本的には都住まい、任地住まいです。ヨーロッパで言うような「自分の領地」はありません(呉では近い情況はありました)。ただ、彼らの一族が地元で有力者(=「豪族」)であることが多く、豪族は城郭都市の外で土地をたくさん持って農民を小作させたり、自衛のために武装することはあります。
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