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はじめまして、さんすけです。
いま、曹氏と夏侯氏の関係について調べてるんですが、
正史の夏侯淵伝の原文には、
夏 侯 淵 字 妙 才 , 惇 族 弟 也 .
と、あります。
某サイトの掲示板で(問題があるかもしれんのでフセ)、同じ質問をしたのですが、
お答えしてくださった方によると、
「族弟」は、「同族同世代の年下」という意味であり、従弟とは限らないのではないか、
とのことでした。
私も、そう思います。
一方、
曹仁伝では、
曹 仁 字 子 孝 , 太 祖 從 弟 也 .
曹洪伝では、
曹 洪 字 子 廉 , 太 祖 從 弟 也 .
とあり、「従弟」です。
曹仁の祖父は曹褒、父は曹熾とありますから、
日本の戸籍上、曹仁は曹操の再従弟(はとこ、またいとこ)にあたります。
ところが、ちくま訳本の正史では「族弟」も「従弟」も
すべて「いとこ」と、ルビが振ってありました。
当時の中国では、同世代の兄弟姉妹の子孫は、すべて「いとこ」と言うのでしょうか?
そして、
夏侯惇と夏侯淵は、血縁関係があるから「族弟」、
曹操と曹仁・曹洪は、父の嵩が曹氏の養子であるから「従弟」、
となったのでしょうか?
ついでですが、曹操と夏侯惇の関係は、曹嵩の兄弟の子が惇なので、
本当の意味での従兄弟にあたるそうですけど……、根拠が見つかりません。
何か有力な根拠や資料を知っていましたら、是非ご教示願います。
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