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遅レスで申し訳ありません。昨夜、フト思い出したので。
質問の答えと少しズレますが・・・
『中国社会風俗史』東洋文庫 284ページ
第28章 官吏の生活 に以下の文がありました。
「漢の万石君の長男や鄭当時が、「五日ごとの洗沐」
に帰省して父に会い、友人を訪問したという記事が
『史記』や『漢書』にみえる(略)。洗沐は休沐と
もいって、髪を洗う名目で役所から出て、一日休息
することである。昔の官吏は、いったん役所に入る
と、昼夜その中で寝食して、五日日の洗沐に始めて
外出したのである。(略)
当時、富豪の郎官は銭財で休沐を買い、それを山
郎と呼んで、始終役所にいたわけでないが、貧しい
官吏は、一日でも病気をすればそれを休沐で償って
いる。従って富者は毎日外出して遊戯するが、貧者
の中には、年中休暇のとれない者もいるわけである。(略)
休沐は宰相にも与えられている。(略)
後漢の宦官の蔡倫は、休沐のたびに門を閉じて面会
を謝絶しており、魏(三国)の武将の許猪を憚かる
連中が、その休沐の日を狙って刀をさげて侵入した
というから、宦者や武士にもみな休沐があったので
ある。魏の華キンは高唐(山東省)の郡吏になると、
彼だけは休沐の日も家門を閉じて出なかったといい、
同じく劉類が弘農(河南省)の太守に在任中、官吏
二百人に休暇を与えなかったというが、漢魏では地
方官にも一定の休沐があったのである。」
また、夏至冬至は休日だったそうです。
これを読むと、漢魏の百官は5日間は役所に宿直勤務、
1日休暇、というシステムだったようですが・・・
私自身も、当時の官吏の生活について大変興味があります。
なにかご存知の方がおられたら、お教えください。
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