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▼むじんさん:
>もともと袁紹の発案なのですが、何進は陳琳の諫言を蹴って採用してるんですよ
>ね。相当な決意があったようにも見えます。そうなると意図せざることであった
>かどうか…。この一連の動きには洛陽の四方を途絶して宦官勢力への援軍を遮断
>する意図があったと思います。西は夕陽亭の董卓、東は成睾の橋瑁、北は孟津の
>丁原ですね。これで南方を除いてほぼ封鎖されました。
う〜〜ん、なるほど。毎度のことながら私の解釈は浅すぎ&ピント外れですねえ。
袁紹がクーデターに限りなく近いことをやる覚悟だったとすると意図してやらせた可能性もなくはないですし。事実宮中に兵を入れて宦官を誅殺するという理由は真っ当かもしれませんが一大暴挙を袁紹自身がやっていますからねえ。
竇武の二の舞だけはさけるべきだという進言から兵権を固めさせていることを考えると、第二の張奐の出現を避けるために洛陽を封鎖、そして自軍勢力の結束を固めるために仮節を得たとする見方のほうが暴走を防ぐためだったとみるよりも妥当でしょうか。
しかし、袁紹は間違いなく当時を代表する英雄であることが間接的であれ証明されますね。宦官誅滅は三国志演義では一応イベントの一つではありますが三英雄が直接的に絡んでこないことと、董卓の台頭を招いたことから前後の流れや意義をスルーされている印象が強く感じられます。
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