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論語に
「子曰、吾未見好徳如好色者也
(子曰く、吾れ未だ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざる也)」
といい、儒教の教えは基本的に情欲を抑制する方向にあります。
結婚は父母親族が取り決め、媒酌人をとおして結納など手続きを踏み、男女は結婚式まで顔を合わせもしない、というのが正しい士人の姿で、中国には西洋的意味でのLOVEというものは革命まで存在しなかった、と言うこともできます。もちろん「恋愛」という言葉はなく(「恋」「愛」はそれぞれ、LOVEとは違う意味で使われた文字です)、「色」「情」「淫」というような言葉が恋愛を意味しました。
ただし儒教は、基本的に「家(血族)」の存続と繁栄ということが守られていれば、それ以外は女色男色ともに不問というスタンスのようです。つまり、きちんとした家柄の正妻を娶り、跡継ぎが生まれたのちは、メカケを何人作ろうと遊女・男娼と遊ぼうと、遊ぶ金があるならば、それも男の甲斐性のうち、というモラルです。
「梁山伯と祝英台」は、物語の設定は晋代ですが、民話(伝説?)なので、晋代の時代考証をして語られたわけではありません。(たとえば、物語のベースに科挙制度が設定されていますが、魏晋には科挙試験はありません。)
また、皇なつきさんの漫画は(私もかつて読んだきりで記憶は不確かですが)衣装や建築など、宋〜明代あたりに設定されていたと思います。つまり、晋代の物語としてではなく、民話として描かれていました。
以上のわけで、あの漫画から三国時代の同性愛を推測することはできないと思われます。
劉達臨『性愛の中国史』(徳間書店)という本に
「《同性愛》は、魏や晋の時代には、なんら異常と見なされなかった」
とありました。これ以上の説明がないので詳しくは分かりません。
浅学ながら、私が今まで読んだ中国古典小説の中でも、しばしば同性愛は登場しますが、だいたいの場合、男娼・お稚児さんです。(日本の昔も同じですが。)
男女差別が厳しく、性の隔離が進んだ社会では、同性愛は必然とも聞きます(古代ギリシアやアラビア世界などが代表です)。三国時代の中国も、一方で何百人の女性を囲う権力者がいる以上、もう一方で配偶者を得られない貧しい男性がいるわけで、きっと同性愛は黙認されたのではないでしょうか。
ただ個人的には、「断袖」という言葉自体が同性愛に対する蔑称だと思っていたので、そこらへんはよく分かりません。
・・・と長々失礼しました。こんな長口舌をやらずとも、三国志のボーイズラブ小説として有名な
江森備『私説三国志 天の華地の風』
を紹介して終わればよかったでしょうか。
私自身は未読ですが、「BLであることを除けば、面白い三国志小説だ」というような書評をネット上で目にしますので、三国時代の同性愛観についても説明があるかもしれません・・・
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