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【1050】劉永の教育係 2004/6/16(水) 4:00 教えて

【1054】Re:劉永の教育係 MM2 2004/6/18(金) 21:52
┗ 【1067】後宮の出入り 2004/6/26(土) 1:59
┗ 【1071】Re:全ての男はケダモノなので禁止です 白崎ゆきと 2004/6/27(日) 3:30
┗ 【1072】Re:全ての男はケダモノなので禁止です 2004/6/27(日) 5:35
┗ 【1075】皇太子の教育係は特殊な官職ですよ 白崎ゆきと 2004/6/27(日) 13:11

【1054】Re:劉永の教育係
 MM2  - 2004/6/18(金) 21:52 -

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   こんにちは。

蜀の太子については建安二十四年(219)に劉禅が太子になったとき、
太子太傅(諸葛亮)、中庶子(霍弋)、庶子(羅憲)、洗馬舎人(董允)が属官として就いています。
続漢書百官志にも太子以外の皇子の属官・教育係などについては記述はなく、重要視はされていなかったようですね。
なので基本的に太子以外の皇子の属官については分からないというのが現状です。

董允については上にあるとおり太子時代の劉禅の属官で、その後即位と共に黄門侍郎に昇進。
諸葛亮の北征に随行して漢中に住んだとあるので劉永の成人前の教育係というのは難しいかと思われます。

【1067】後宮の出入り
   - 2004/6/26(土) 1:59 -

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   こんばんわ、朕です。

MM2さん、レス遅くなって申し訳ないです。


手元にある三国志の史書本が正史しかないので、ネット上で調べるしかないのですが、
やはり劉永の記述には教育係の事は記されていませんでした。

>董允については上にあるとおり太子時代の劉禅の属官で、その後即位と共に黄門侍郎に昇進。
>諸葛亮の北征に随行して漢中に住んだとあるので劉永の成人前の教育係というのは難しいかと思われます。

馬鹿な質問しましたこと、反省します。
董允の記述にも劉永のことは記されておらず、確かに劉永が賢くとも劉禅が凡愚なら董允の線は薄いですよね。

それから、また質問しちゃってゴメンナサイなのですが…。

後宮に出入りできた人物は、皇帝の属官ほかにどんな人物・役職の人がいたんでしょうか?
そこから洗っていけば、かなり謎が解けてくるのではないかと思ったのですが…。
と、云うのも後宮に出入りするにはかなりの高官でなければならないですよね。
それにはやはり、確固たる地位、及び信頼が必要だと思うのです。

お暇でしたらどうぞ、ご指導お願いします。

【1071】Re:全ての男はケダモノなので禁止です
 白崎ゆきと E-MAIL  - 2004/6/27(日) 3:30 -

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   こんばんは。ユーロの中継待ちしてますが、さすがに眠いです…… 閑話休題。

いくら弱小王朝とは言え、蜀漢でも後宮はやっぱり男子禁制だったと思いますよ。

はじめに確認させていただきたいのですが、
後宮が皇帝とその皇后・妃嬪の生活する宮殿のこと(奥にあるんで後宮)なのはご存じなんですよね?
それで宦官もご存じならば話は簡単。

妙齢の美女(皇帝のもの)に、年中盛ってるケダモノどもを近づけたら危険極まりないじゃないですか!!

というわけで後宮はずっと昔から男子禁制で、入ることを許される男性は皇帝のみ。
例外として認められるのは、男であって男でなく、人であって人でない宦官だけです。
(もし宦官って何? ということでしたら、
 その道では有名な門田さんのサイト(http://www.toride.com/~fengchu/)をご覧ください)


宦官の歴史は非常にふるく、商代にはすでに存在し王のハーレムで使われていたほどです。
また、後漢では幼帝が相次ぎ、太皇太后や皇太后が実権を握ることがしばしばありましたが、
この際にも朝臣に姿を見せることは許されず、御簾ごしに朝政を行うんですよ。
それほどまでに朝廷は、男女の別にうるさい世界なんです。

【1072】Re:全ての男はケダモノなので禁止です
   - 2004/6/27(日) 5:35 -

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   白崎ゆきとさん、初めましてこんばんは。朕です。


おお、そうだったんですか!
てっきり宦官以外にも入れるものだと思ってましたよ。
宦官の歴史については全然知らないのですが、性器を切断した事など浅い知識(程でもないですが…)持ってます。

紹介くださったサイトに行って来ましたが、宦官の多くは女官と結婚したんですね。
色々と知識をつけてきたつもりでお返事させていただきます。

・属官であろうと宮殿には入れない。

これは、よく考えれば分かる事ですね。
浅はかに質問を投げかけ暇を割かせてしまったこと、陳謝いたします。
敬哀皇后などは相当の美貌の持ち主であったと思われ、そんな中にホイホイ男を投げ入れたらそれはもう!大変と云うか悲惨と云うか…。
白崎さんの言を引用させていただきますが、男子禁制な後宮において男であって男でなく、人であって人でない宦官だけが入れたと云うのも、深く考えたらそれはそれは決死な覚悟であったと思われます。


となり、やっぱり劉永の教育係はさっぱりです。
MM2さんが述べたとおり、太子以外の皇子ついては重要視されなかったんですね。
確かに教育係のせいで一生を滅茶苦茶にされるなんてありえませんし、どう教育しようとも根底の意向までは変えられるものではないですから。
無為無策に国を放り投げた劉禅もそう言えると思います。

話の筋が色々と変わりましたが、劉永の事についてはこれからもネット上を巡って調べていきたいと思ってます。

お付き合いくださった皆様、ありがたく御礼申し上げます。

【1075】皇太子の教育係は特殊な官職ですよ
 白崎ゆきと E-MAIL  - 2004/6/27(日) 13:11 -

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   正直なところ、後宮も宦官も教育制度もロクに知らないので
サッサと逃げたいところですけど一点だけ。

皇太子の教育係というのは、必ずしも皇太子の教育を主眼としたものではありませんよ。

皇太子に任命すると言うことは、次代の皇帝に指名したというです。
それに高名な人物を教育係とするのは、
単に皇太子を指導するだけではなく、後見人として太子にハク付けをするためです。

それと同じように皇太子につけられるご学友や属官も、
将来皇帝となったときに股肱の臣となることを期待してのものですよ。
したがって、有望な若手が選ばれて任ぜられます。
上に出ているように劉禅には董允などが、
曹丕には陳羣や司馬懿らがそれぞれ付けられています。
どちらも皇太子が登極すると、それに合わせて朝廷の大官となってますよね。

このように東宮に属す官職というのは、
額面通りの役割だけでなく、次代の朝廷という重要な意味をもつものです
だいたい、成人した頃になって慌てて教育したって手遅れですよ。

皇子たちの教育というのは、その時々によってマチマチでしょうけど、
その王朝が異常な状態でなければ、優秀な人物をつけて行っていたと思いますよ。
史書に名をなす大人物ではなくても、優れた人物は沢山いたでしょうからね。
そのよい例が曹丕の弟・曹植で、
彼はそれまでの中国史上で最高とまで讃えられる詩人です。

あと、劉禅は英俊でないにしても暗愚かどうかは……。

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