2009年1月の日記:[以前の日記]
 
 
1月30日(金)
 
 
孫氏からみた三国志を進めて小説の題材を探っていこうという今日この頃。

劉虞のこと→袁紹のことって流れかね。今は漢文を訳し中。

ここ数日、三国志ニュースで論文二報のメモを書いたり、原稿を仕上げたりしていて、今は前述の通り。
気分転換に2009年1月の日記のコピーでもしようかな。
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1月19日(月)
 
 
そういや「孫氏からみた三国志」も進めたいと思う今日この頃。


というわけで、「魏晋南北朝時代における冠服制度と礼制の変容」ノートを仕上げる。
改めて聞くと、漢代のものがどう変容していくかが興味深いね。
表現が悪いが、後漢ばかりみていた私にはマンアフターマンを見るような感覚。

それからそこで手に入った『東洋史研究』を徐々に読んでいた。
それで、論文の本質とは無関係なところで気付いたこと。
「天子の好逑 ─漢代の儒教的皇后論─」(『東洋史研究』第61巻第2号)に引かれていた、『禮記』の曲禮下にある「天子之妃曰后.諸侯曰夫人.大夫曰孺人.士曰婦人.庶人曰妻」という部分。

妻って庶人なんだね、小説で使いまくっていたよ(汗)
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1月2日(金)
 
 
旧年末まで小説書いていて、それまで棚上げていた作業を年始で始めたもんで、急激な変化というかなんというか。。。
ともかくやりたいことはたくさんあるけど、必要と欲求のバランスがうまく取れていないね。
「必要」を優先させてしまって「欲求」は一つも手を付けていない。
発表のレポ、読んだ論文のメモ という二つを続けてやりたいんだけど。

今思っている創作に関するキーワードは「レコメンド」。
あと、今、古典ブーム(正確には古典をリライトしたり馴染みある挿絵を入れたり人口に膾炙したというかなんというか)だから、言葉悪いけど出版サイドをうまくだまくらかして『レッドクリフ』効果だけじゃなく、「三国志」をうまく推していけないかね。
「だまくらかして」というのは古典は『三国演義』であり、『三国志』は古典的な味わいはあまりないからね。

ともかく本年も旧年に引き続き、世にある歴史研究成果をうまく創作に取り込み、そういう部分の楽しさや面白さをうまく広めていけたら良いなぁと思っている。
それと同時に、旧年末の反省点として物語のまとまりと独立して楽しめるってのを何とかしないとね。
(自分を半鎖国状態にして、作業時間を割り振りたいぐらいなんだけど)

『キャプテン』劇場版の五十嵐のキャラの立ち方を見てそう思った。
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