2008年11月の日記:[以前の日記]
 
 
11月21日(金)
 
 
必要な原稿用紙の枚数 : 101 枚
101 枚目の使用行数 : 3 行

とりあえず100枚突破したということで。
このペースでいくとギリギリだな(汗)
さらにペースアップを。

物語中、刺史と合流し(もちろん確執あり)、三郡の平定に当たるところ。
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11月17日(月)
 
 
必要な原稿用紙の枚数 : 79 枚
79 枚目の使用行数 : 5 行

物語中、いよいよ區星との決戦。

話がズレるんだけど、今年は結構、論文を読む機会がある。読んでいるときは楽しくテンション高く読んでいて、理解もあり小説で使えそうと実益もあるんだけど、読み終わった次の日には端的にしか覚えていなくて残念なところがある。
そこでちょっとでもメモを残しておけば自分にとって有益となるのだから、三国志ニュースにでもそれに関するメモを残そうかとぼんやり考えている。
まぁ、今は小説にある程度、集中しているんで、やるとしても小説が終わる来年初めってことになるんだろうけど。

ちなみに今日(というか日付上、昨日)、一通り読み終えたのは「後漢政治史における鴻都門學─靈帝期改革の再評価價のために─」(『東洋史研究』第63卷第2號2004年9月)って論文。人事という視点も面白い。
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11月15日(土)
 
 
必要な原稿用紙の枚数 : 70 枚
70 枚目の使用行数 : 2 行

物語中、區星の討伐に乗り出したところ。

昨日、風呂上がり、何気なく『三国志集解』を手に取り、孫破虜討逆伝を見ると、區星の拠点が乗っていた。
というわけで、少し遡って書き直す。
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11月9日(日)
 
 
必要な原稿用紙の枚数 : 44 枚
44 枚目の使用行数 : 18 行

物語中、ようやく長沙郡に到達し、郡吏の現状を認識し、人事に携わるところ。

しかし輿服志など文献史料上、印綬の印は印だけなんだけど(なんか字面だけ見ると意味不明だね・笑)、封泥など出土資料を見ると、太守クラスは「印」じゃなくて「章」のような気がするので、書き直し(実は時代変遷によるものだったりして・汗)

あと前回の小説を少し読むと「廷」を「延」と間違えたり、「輿」を「與」と間違えたり、くだらん間違いが多いな(汗)

並行し、今、例の松山のシンポジウムのレポートを書いたり、100円で売っていた『東洋史研究』の「郵」に関する論文を読んだりしている。
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11月5日(水)
 
 
必要な原稿用紙の枚数 : 37 枚
37 枚目の使用行数 : 13 行

これでもペースを上げている方。

「魏晋南北朝時代における冠服制度と礼制の変容―出土文物中の服飾資料を題材として―」(2008年度 東洋史研究会大会)を見て、気付いたけど、太僕(九卿)の冠について。
 『続漢書』輿服志によると、

(冕冠)三公諸侯七旒、青玉為珠;卿大夫五旒、黒玉為珠。

となっており、さらにその注に引く『獨断』

三公諸侯九旒、卿七旒

となっており、『続漢書』輿服志にはさらに

郊天地、宗祀、明堂、則冠之。

と続き、冕冠はつまり祭服なんで、官府の堂に居るときは戴いてなさそう。というわけで、同じく『続漢書』輿服志に

進賢冠、古緇布冠也、文儒者之服也。前高七寸、後高三寸、長八寸。公侯三梁

とあるんで、三梁の進賢冠が適当かな。
小説でここらへんを訂正していた。
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