2008年2月の日記:[以前の日記]
 
 
2月29日(金)
 
 
ちゃんと読むと興味深い『礼記』(もちろん原文だけだとわけがわからないので通釈と語釈付きの)なんだけど、時間がどんどん吸い取られるような気がするので、気を付けてとばしとばしに目を通している。
とりあえず『礼記』玉藻を見ると、歩くと佩玉は衝牙と当たって音が鳴ることが興味深かった。

「孫氏からみた三国志」にも戻りたいと思うんだけど、今回もこのままズルズルどっちつかずで終わりそうな予感(汗)
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2月26日(火)
 
 
「孫氏からみた三国志」更新分
↑というわけで準備期間の成果第一弾。
METAタグでContent-Type: text/html;charset=utf-8導入。
一々、表示できない漢字を画像に差し替える必要がないから、こりゃ楽だわ♪

ちなみに関係ないけど、どうも三月の三顧会に行くことが濃厚になりつつあるね。
さてどれだけ我を忘れ熱中できるかなぁ。

そういや某連載企画で、小説でもないのに著者の一人称が「臣」と書いて「わたくし」とルビがふってあった。
確かに史書では上書中の文で一人称を「臣」とする場合があるけど、そりゃ皇帝に対する「臣」だよな
誰に対する「臣」やねん! とツッコミつつ、もしや「お客様は神様です」みたく、「読者様は陛下です」って発想か!?
そりゃ美徳というより卑屈だよな(笑)
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2月21日(木)
 
 
あいかわらず史書を読んでいるけど「詣廷尉」って表現が気になった。
盧植が黄巾討伐のときに罪にあたり京師へ送り返されるときにもでてくる表現だね。
で、『続漢書』の百官志に

廷尉、卿一人、中二千石。〔一〕本注曰:掌平獄,奏當所應。凡郡國[言獻]疑罪、皆處當以報。

とあって、なるほど廷尉はこういう官職ね。
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2月18日(月)
 
 
史書から霊帝崩御以降の記述をピックアップし訳しながら次期執筆の対象となる時代を思惑している。やはりなかなか前に進まない上に後漢書からほとんど出ていないのがね。
去年と同じく六月末の五十枚、八月末の二百枚が控えているので遅くとも四月から執筆期間に入る予定。明らかに書きたい部分とそこらへんの把握不足とのギャップが見えていて焦りばかり募る。
(それとは反対に、読者を描く対象の世界へ導くことそのものにも魅力を感じており、つまりはそれに集中するために資料把握の労力を捨て、既知の箇所だけで書くということにも惹かれている)

孫堅に南陽太守が害されるところとか何となく思っているけど、それを支える資料には未だ当たっていない。
鄭玄とか蔡[巛/邑]とかの一代記を書けたらどんなにステキだろうと思うんだけど、それには知識不足(準備不足に繋がる)が明らかで時期が早い。
あと前回の準備期間で中途半端になった『礼記』読みも進めたいんで焦りばかりがでるな。
とりあえず今、目を通している伝をピックアップ。もちろん帝崩直後の部分ばかりだけどね。

後漢書本紀
後漢紀
三國志魏書武帝紀
後漢書宦者列伝
後漢書蓋勳伝
後漢書臧洪伝
三國志魏書臧洪伝
後漢書何進伝
三國志蜀書許靖伝
後漢書鄭太伝
後漢書呂布伝
三國志魏書呂布伝
後漢書盧植伝
後漢書皇甫嵩伝
後漢書朱儁伝
後漢書袁紹伝
三國志魏書袁紹伝
後漢書皇后紀
三國志魏書荀攸伝
後漢書羊續伝
後漢書賈N伝
後漢書陸康伝
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2月8日(金)
 
 
Unicode 8のファイルに史書(電子文献)から引いた関係ある漢文をコピペしまくっている。
最終的には時系列に並び替えてまとめた日本語の文になるんだけど、まとめながら訳すとややこしいんで、最近はまず片っ端から訳している(こちらの方が自分的に近道と最近、小説書いているうちに判るようになる)。

ご存知の通り、漢書や後漢書は紀伝体で、本紀、列伝、志があって、時には内容が被ることがある。
それで片っ端から訳していると一時期、かなり被っていることがあって、本紀と列伝で被っているのかな、と思ったら違った。
『後漢書』本紀と『後漢紀』とを連続で訳していたんだ。そりゃかぶるわ(汗)

あと「孫氏からみた三国志」も面倒だからUnicode 8にしてしまおうかね。
小説もUnicode 8で書いてるし(ただInDesignに貼り付けてプリントアウトする際に、日本語フォントが対応しきれないため、手作業で表示されていないところを中国語フォントに変えているが・汗)
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2月2日(土)
 
 
「孫氏からみた三国志」、次はいよいよ帝崩だったんだね
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