10月16日は霊帝が無上将軍を自称した日

後漢書卷八 孝靈帝紀第八によると

(中平五年冬十月)甲子、帝自稱「無上將軍」、燿兵於平樂觀。

(西暦188年10月16日に帝自ら「無上将軍」を称し、平楽観において兵を輝かせた。)

とのことで中央研究院兩千年中西暦轉換で西暦(といっても日付は旧暦のまま)に変換すると、後漢の霊帝(劉宏、33歳)は西暦188年10月16日に「無上将軍」を自称したとのこと。今年で1819周年、来年に1820年という節目を迎える……と言っても来年、何かあるというわけではなさそうだが。
ちなみに霊帝は翌年の4月丙辰(11日)に34歳で亡くなったんだけど、その間に「無上将軍」として何かしたというわけではなさそうだけど。
同時期に設立された西園八校尉には一応、動きがある。同年十一月に八校尉の一人、下軍校尉の鮑鴻は葛陂賊討伐にあたる。ところがそこで横領したせいか(後漢紀より)、翌年の三月、獄に入り死んでいる。

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