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▼1208さん:
>▼清岡美津夫さん:
>>▼1208さん:
>>>ありがとうございます。後後漢紀についてなのですが。
>>>
>>>六月,孫策を拝して會稽太守、討逆将軍と為し,(陽)侯に封じた[一].
>>>
>>>[一] 三國志の本伝及び注引する江表伝に拠って刪した.
>>>
>>>[出典:ほぼ訳!後漢紀 http://www.geocities.co.jp/Playtown-Spade/4838/koukanki-kentei02.html]
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>>>この記述についでですが、上記の様に三国志と江表伝を拠ったと書いています。
>>>と言う事は、江表伝の記述が一定の信ぴょう性を持つと袁宏は判断したと言えるんでしょうか?
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>>こんにちわ。
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>>『後漢紀』巻二十九孝献皇帝紀の、
>>
>>六月、拜孫策為會稽太守・討逆將軍、封呉(陽)侯〔一〕。
>>
>>〔一〕據三國志本傳及注引江表傳刪。
>>
>>という所ですね。別に『後漢紀』の撰者、袁宏の意向に関係なく、本文で「呉陽侯」となっていたの(元からそうなのか書写を繰り返す中でそうなったのか不明ですが)を注を付けた人が、『三国志』及びその注に引く『江表伝』を参考に、「陽」の字を削った(括弧を付けた)という意味です。
>>
>>それとこの掲示板を見ている人の立場に立つと、元の質問と無関係なので、新たに作ったツリーで質問した方が閲覧しやすかったでしょうね。
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>では、その注釈者が江表伝は参考になると、その記述についてはいかがわしいものでは無いと判断したのですか?残念ながら私は漢文を読めないので判らないのですが、そうだったのなら注釈者が気になります。もしお判りになりましたらお教えください
こんばんわ。
わざわざツリーを変えていただきありがとうございます。
校注者は周天游だそうで、ネットで検索すると、百度百科がひっかかって、それによると、1944年生まれの方だそうです。
件の記述は『江表伝』だけでなく『三国志』も参照しており、しかもおそらく同時代の史料で「呉陽」なんて地名が見当たらないため、「陽」を削ったのであって、『江表伝』に限ったことではないですし、信憑性云々とはまったく無関係ですね。
以下、個人的意見ですが、ある史書に対して信憑性があるかないかで頭ごなしに決めつけると思考の幅が狭まって(あるいは思考停止で)損することが多いかと存じます。
信憑性あるなしありきではなくて、史書に記載のある事柄ありきで、それについて、道理に合わなかったり他の史書の記述と矛盾する場合があれば、初めてその事柄だけについて信憑性のあるなしやその度合いを検討すれば良いかと存じます。
話に上がる『江表伝』についても、信憑性がないと頭ごなしに決めつければ、『江表伝』にしか記述のない、赤壁の戦いでの風向きの東南も、呉下の阿蒙に非ずも、周瑜と孫策の義同断金な関係も、「信憑性がない」の一言で片付けられてしまいますし。
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