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▼Barbalさん:
レスをありがとうございます。返事が遅くなり申し訳ありません。
>>1.劉巴の経済政策とは実際はどのようなものだったのか。本当に行われたのか。行われたとしたら効果はあったのか
> 原文では『「易耳,但當鑄直百錢,平諸物賈,令吏為官巿.」備從之,數月之間,府庫充實.』となっています。「百銭の価値に相当する貨幣を鋳造し、物価を安定させ、官営(国営)の市場をつくりなさい」と言うことでしょう。最後の部分がちょっと微妙ですが (^^;) この他には聞いたことがありません。
> 効果のほどは「劉備はこれに従い、数ヶ月で府庫は充実した」とある通りです。
ということは。「零陵先賢伝」の文からは深読みできる部分は余りなく、この政策について他に言及したものは無いと言うことですね。
>>2.この経済政策に限らず「零陵先賢伝」という本の記述は信頼できるのか。
> ちくまの『三国志』8巻P.327によれば、『零陵先賢伝』はその地(つまり零陵)のすぐれた人物の伝記だとあります。郷土の偉人の伝記、ということですから細部に脚色や誇張はあっても不思議はないですが、デタラメな書物という評価ではないようです。
なぜ、信憑性に言及したかと言うと、いろいろと正史の本文と食い違う点が幾つか見受けられますので。曹操に零陵に派遣された経緯や、国庫が空になった記述等について。「零陵先賢伝」の内容に何か独特の傾向でもあれば、と思った訳です。
>>以前に読んだ雑誌の三国志特集で、この経済政策を、インフレ政策を使ったのではないかと読み方をした説を読んだことがあります。数ヶ月かけて高値で物資を買い集めた後、百銭の貨幣を大量に鋳造し、それで支払いを行った、と。
>『うまなみ三国志』の随想で大澤センセイが『(前略)市場に通貨が流通すれば、兵士達は当然、蔵から奪った物資や財宝を換金しようとしますから、わずか数ヶ月で兵士達が奪った物資や財宝は蔵に戻ったといいます。一種のインフレ政策ですが(以下ry)』とか書いていますが、これですか? 個人的には苦笑いするしかないのですが。
『うまなみ三国志』であったかどうかは記憶に無いのですが、蜀が商業に頼って国力が付かなかった、という論法であれば、その文章と思います。私自身、自分で書いておきながら何ですが、頭の中で多くの雑多な記憶と推測がごっちゃになっていて、正確な文章である自信がありませんので。
>前漢後期頃から貨幣の退蔵と消費の低迷が進行。
>董卓の小銭発行により貨幣の価値が下がり、物価が高騰。
>物々交換や小銭を100枚単位で括って使用するようになる。
>といった背景があったようです。このあたりは山田勝芳著『貨幣の中国古代史』を参考にしております(と言うか、まったくの受け売りですが)。
> 直百銭の発行で物価を安定させ、官営市場(利益はすべて国庫に入る)で商売した結果、数ヶ月でかなりの売り上げがあった、ということで良いと思うのですが、いかがでしょうか?
> なお、余談になりますが、百銭の発行は張魯も行っており(太平百銭)、劉巴が初めてではありません。
董卓の粗悪銭の話は大インフレを起こした事でも有名ですね。
孫ぽこさんのサイトでも、孫権が236年に「五百銭に当たるという大銭を作った」話が紹介されていました。この発行理由は経済政策としか書かれておらず、政策の目的はわかりませんでしたが。
そうなると、ポイントは、この経済政策で、本当にこれだけの効果があるかどうか、ですね。経済には疎いので、私には良くわかりませんが。
それほどの効果が無いなら、誇張した逸話として読むのが正しいのかも知れませんね。
この手の話。細かいことを気にしだすときりが無いのですが、でも気になります。
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