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経済政策について疑問がありましたので、似たようなトビ(といっても共通項は『経済』だけですが)であるここに便乗して投稿させていただくことにしました。
疑問と言うのは、劉巴が提案したと言われる経済政策についてです。
「零陵先賢伝」に
蜀を得た劉備が、国の倉庫が空になっているのを心配して、劉巴に問うたところ、「簡単なことです。ただ百銭の貨幣を鋳造して諸物価を安定させ、役人に命じてお上の管理する市を立てさせるだけですみます」と言った。劉備がそれに従ったところ、数ヶ月の間に蔵はいっぱいになった」と、あります。
これは、どういう意味なのでしょうか?
この程度の政策でなぜ、僅か数ヶ月で官庫がいっぱいになるのか。
劉璋は一体どれほどお粗末な統治を行っていたのでしょうか、ということになります。
以前に読んだ雑誌の三国志特集で、この経済政策を、インフレ政策を使ったのではないかと読み方をした説を読んだことがあります。数ヶ月かけて高値で物資を買い集めた後、百銭の貨幣を大量に鋳造し、それで支払いを行った、と。この論文の締めは、安易な商業政策で国庫が潤ったことに味を占めた劉備は、根本的な国力増強を怠り、国の基礎体力を高めることが出来なかった、というような言葉だったと思います。
国力増強どころか、このような詐欺行為を行ったら、間違いなく民の信用はなくして、富国強兵に誰も付いてこなくなると思いますが。
それはともかく。
質問はここからなのですが(いつも前振りが長くてすみません)
1.劉巴の経済政策とは実際はどのようなものだったのか。本当に行われたのか。行われたとしたら効果はあったのか
2.この経済政策に限らず「零陵先賢伝」という本の記述は信頼できるのか。
私がこの政策の解釈として考えたのが、「数ヶ月の間に蔵はいっぱいになった」というのは、経済が安定し、国庫が豊かになった、という表現の慣用句ではないかと(治安が良くなったときの慣用句として「道に物が落ちていても私するものもなく、人々は家に鍵をかける必要がなくなった」という表現があります)。
あるいは、「数ヶ月の間に(経済は安定し、やがて)蔵はいっぱいになった」という読み方ではないか。時間経過に対する表現が抜けている可能性があるのではないかと言うことです。
ご存知の方、ご教示をよろしくお願いいたします。
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