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Suと申します。
『アタック 孔明25』 の、「孔明が気球を使って脱獄した」 のくだりですが、
どうやらそれの元ネタらしい逸話を見つけたので、紹介させていただきます。
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諸葛亮はもとの姓を葛といい、山東の諸県の葛家村に住んでいた。
若いときに両親に死なれたので、昼は大工の徒弟になり、夜は勉強していた。
頭がよく手先が器用だったので、徒弟としての修行期間が終わったときは
抜群の腕となり、葛親方といえば県中で知らない者はないばかりとなった。
金の力でやりたい放題をやっていた荘の金持ちがいて、
彼(=孔明)が事ごとに彼ら(=荘の金持ち)の鼻をあかせていたもので、
彼は無実の罪で告発され県の牢獄に捕らえられてしまった。
その年の元宵節(旧暦1月15日の燈籠祭り)のまえ、
県令(知事)は誰にも負けない燈籠を作って自分の威勢を示そうと思い、
葛親方を牢屋から引き出して、燈籠を作るように命じた。
親方はそこで一計を案じ、高さ3丈(約7メートル)、直径1丈(2.3メートル)の燈籠を
一気に作り上げた。この燈籠は大きくて奇麗だったが、
まわりはすべて厚い紙で貼りかためられ、空気のとおる隙間もなかった。
元宵節の当日になると、親方は燈籠の底に穴をあけて潜りこみ、100本の蝋燭をともした。
すると、燈籠はふわりと空中に浮かび、天にのぼっていった。
横で見ていた県令は驚いてまっ青になり、
まわりを取り囲んで見物していた城内の人びとはどっと喊声をあげて、
「亮、亮(明るい、明るい)」と叫んだり、また、「孔明灯だ。孔明灯だ」と
叫ぶ者もあった。「孔明」とは、特別に明るいという意味の言葉だった。
燈籠は空高くのぼると、風のまにまに漂って、いくつかの村のうえを通り過ぎ、
蝋燭が燃え尽きたところで、とある村におりた。
村の人たちは天から天下ってきた神さまだと思い、珍しそうに取り囲んだ。
葛親方は燈籠から這い出して、どこに着いたのか聞き、
はじめて自分が100里あまりも飛んで陽都県の葛家荘まできたことを知った。
村人は彼が諸城県の葛家荘からきたと聞いて、彼を諸葛と呼ぶことにした。
当時、諸葛親方はまだ本名を持っていなかったので、
「自分は非常に亮な(明るい)孔明灯に乗って飛んできたのだから、
これを名前にしよう」と考えた。これから、彼は諸葛を姓とし、名を亮、
字を孔明と名乗るようになったのである。
『三国志演義大事典/編著:沈白俊、譚良ショウ/翻訳:立間祥介、岡崎由美、土屋文子/潮出版社刊』より
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・・・ということで、この『三国志演義大事典』という本の中の
「付録1 三国志外伝」というカテゴリにおいて記載されていました。
孫夫人城の話とか、張飛と曹操の無言問答の話とか、その手の逸話の数々と共に。
孔明が投獄された理由を、『アタック孔明25』では
「貧しい村民を助けようと役人に抗議したため」と言っていたようですが、
この 『三国志大事典』 の記述とは異なっていますね。
他にも、似て非なる伝承が存在したりするのでしょうか。
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