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▼青青生さん:
>いつも勉強させていただいております。
>三国時代を舞台にした漫画のようなものを描いてます、
>青青生と申します。
>
>三国時代の時刻表記について調べています。
>当時の人たちは日常的に、時間帯をどう呼んでいたんでしょうか。
>「子の刻」とか「明け六ツ」とか、そういうやつです。
>古代中国の1年の暦や二十四節気について書かれた本、
>または日本の古時刻や不定時法についての本は見つかったのですが、
>三国時代の時刻についてはよく分かりません。
>日本の古時刻と変わらないのでしょうか・・・?
私も小説書くときに気になってはいるんですが、ちゃんと調べず、「日が傾きはじめた頃」とか入れてごまかしています(汗)
後漢書の皇甫嵩伝をみると、「鶏鳴」(ニワトリがなくころ)とか「[日甫]時」(夕方)とか出てくるので、時刻にそれぞれ呼び方のあるイメージがあるのですが、どうなんでしょうね。
今、さらっと見てみると、晋書の志の天文上のところに、
日晝行地上、夜行地下、倶百八十二度半強、故日見之漏五十刻、不見之漏五十刻、謂之晝夜同。
お日さまは晝(昼)、地上を行き、夜、地下を行き、百八十二度半強と等しいので(一周、365°なんでしょうか?)、日の見える漏(時刻)は五十刻、見えない漏(時刻)は五十刻で、これを昼と夜が同じという(訳に自信なし)
となっているので、一日百刻なのでしょうかね?(この場合の「刻」は時刻に関係なかったして・汗)
と書くだけ書いて、申し訳ないのですが、他の方、フォローお願いします〜
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