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>呉の陳武伝の中の陳表伝で章コウというところがあります。これってどの郡にあるのですか?調べていてもおいらの資料では見当たらないですねん。お願いしますだ!お代官様!教えてケロ。
こういう場合はむじん書院さんの郡国志で一発・・・
と考えるところなんですけど、ペテン師さんに自分で思考することが大事だと励ましの言葉を頂いたばかりなので、私も手元の正史だけで解読してみます。
章コウは正史のなかでも『三国志』呉書だけに登場するレア地名です。
(コウの字は「抗」という字の部首を「こざとへん」に変えたもの)
顧承伝と陳表伝にそれぞれ一箇所づつ章コウという地名が登場します。
ポイントは山越の巣窟たる深谷からそう遠くない軍事基地のひとつが章コウだということ。
章コウが登場するのは、諸葛格が丹陽郡の山越の掃討作戦を開始した嘉禾年間以降(232年〜)です。
顧承は当時、呉郡の西部都尉でした。
呉郡は丹陽郡の東隣で、呉や丹陽の南辺には鬱蒼たる山谷が無数にあり、諸葛格が丹陽の太守を務めていた時代はまだ官軍に抵抗する山越の武装組織が徘徊していました。
むしろ諸葛格は非漢民族の敵性村落に足を踏み入れたと表現した方が適切かもしれません。
容易に考えつくことですが、呉のどこかの都市と山越の抵抗する山谷の中間にある駐屯地が章コウということです。
候補は呉郡の西部ないし南部ですが、、、他の例を見るにつけそうとは言い切れないかも。。。
呉郡の西部都尉って、やっぱり戦役が終わったら呉郡に帰ってくるんじゃないですかね?
呉郡とは全然関係ないとこかもしれないです。
この山谷−呉郡中間説がハズレになったときは、もっと列伝全体を見て見極めたいです。
あとコウという字には「谷」という意味があるようですよ。これも類例要調査。
ところで呉の地名って南方系の匂いがしてくるんですよね。
あと陳武の庶子の陳表のこと色々調べたんですけど、最初のレスじゃオミットしてしまいますが、とにかく人間のよく出来た若者ですね。
なんかとてもすがすがしくて、呉の風土と相まって好印象です。
なんとなくペテン師さんが陳表を選んだ理由が透けてみえます。
この話題、とても面白いです。呉の地名と若者司令官の群像がこんなに興味深いとは!!
あと山越が私を惹きつけるんですけど。
○むじんさんへ
見ないとか書いておいて、結局むじんさんの訳出なされた陳表伝で確認してしまいましたw
嘉 禾 三 年 , 諸 葛 恪 領 丹 楊 太 守 , 討 平 山 越 , 以 表 領 新 安 都 尉 , 與 恪 参 勢 .
ここの部分の「以 表 領 新 安 都 尉」なんですけど、この表って陳表の諱を意味してるんじゃないでしょうか?
『三国志』を全文検索で調べてみると、官位の任官に関係する「以表」という文字列はわずかに三例。
劉表と李豊(厳の子)の任官に関するところだけで、それも劉表のところはやっぱり諱の表のような気がします。
的外れなこと書いてらごめんなさい。
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