三国志ファンのためのサポート掲示板
<<
>>
新婚でルナルナ(孫氏からみた三国志10)1)
030306
<<呉郡司馬・孫文台(孫氏からみた三国志9)

   文台は手柄をたてて、鹽涜丞になったので030223-2)鹽涜県へお引っ越し。
   「単身赴任」って可能性もあるけど、それはここでは考えない。

   文台と呉夫人の新婚新居生活ってことでよろしくお願いします♪

   新居、鹽涜県は、故郷の富春県から直線距離で350キロメートル、北へ離れたところにある。ちょうど海沿い(太平洋)の街2)
   ひとくちに350キロメートルっていうけど、郡の外には当然、飛び出し、そして州の外にも飛び出す。
   故郷が属する揚州江水(長江、揚子江)流域より南だけど、こんどの赴任先は江水流域より北の徐州なのだ。
   その徐州は廣陵郡(広陵郡)にあるのが、鹽涜県なのだ3)
文台&呉夫人のお引っ越し♪
▲参考:譚其驤(主編)「中國歴史地圖集 第二冊秦・西漢・東漢時期」(中國地圖出版社出版) 但し、画面上のルートの位置に根拠はありません

   なんだか、こんな遠くに赴任先があると、文台が左遷されたようだけど、そうじゃない。
   どうも、このころの官吏(役人)の不文律として、長官・次官(郡太守&郡丞はもちろん県長&県丞も)になるには出身地の郡ではなく、よその郡になるそうなのだ。これは「漢帝国と辺境社会」って本の受け売りなんだけど(汗)4)、確かにそう思って史書に接するとそういうルールみたいなのがありそうな気がする。

   で、話、戻して、文台と呉夫人の新婚新居生活って言いきってしまうのは訳がある。
   それは、熹平四年(西暦175年)にある出来事がおこる。
   例によって三國志とその注より。
   ちょうど、熹平三年(西暦174年)に手柄の元となった兵乱が終わりを告げた翌年のこと。

   二人に一人の子が授かる。

   それは男の子。「策」と名付けられる。    そう、孫策の誕生だ5)

   忘れかけた頃に出てくるのが伝説的なこと。
   呉夫人がこの子どもをはらんだときに、ある夢を見る。

   それは月が懐に入った夢6)

   いや、「あんな衛星がお腹めがけて入るんだったら、その前に中国大陸ごとつぶれちゃうよ」なんてツッコミはなしね。
   そりゃ月のことを知っている現代人にとってはそうなんだけど、当時の発想からいったら、手のひらサイズぐらいの黄色い円が懐に入ってくる、そんなおとぎ話のような発想かな(適当)。

   夢といえば、思い出すのが文台のとき。
   復習がてら書くと、文台がお腹にいるとき、その母親が見た夢は……

   自分のお腹から腸が飛び出て、呉というところの城の昌門に巡った夢。

という何とも不可解な夢だった(<<おさらい
   それに比べたらこの夢はわかりやすい。
   隣のおばさんの出る幕でもない(くどいようだけど、<<おさらい)。

   しっかし、この親にしてこの子あり。
   どちらにしても母親に変な夢を見させる親子だねぇ。

   新しい家族も増えて、ラブラブな新婚生活……と思いきや、実は邪魔者が(汗)

   よっぽど、文台の仕事っぷりが評判良かったのか、吏(役人)も民(住民)もなついていた。
   それらの人々がなついただけだったら、邪魔者にはならなかったんだろうけど、さらにふるさと(富春だねぇ)の旧知の人や、物好きな少年たちが文台の家を訪れたそうな。
   いや、一ヶ月に数人ぐらいだったら別に普通だけど、その数が半端じゃない。
   史書だから大袈裟なところがあるかもしれないけど、三国志呉書の注(江表伝)に見えるその数は…

   いつも数百人!

   いやはや、まるでスター ミ★
   しかも、訪れにくるだけじゃない。文台はそれらの人をまるで子や弟のように、もてなしたのだった7)

   うーん、文台ってお人好し……

   というか、県丞と言っても数百人も養えるほど給料をもらってはいないと思うんだけど………もしかして、実家から仕送ってもらっているの?!
   それじゃ、親のすねかじりじゃん!

…と妄想ネタに発展しそうなので、今回はこの辺で。
   なんにせよ、のんびりと家族水入らずってのは結構、難しかったっぽいね




1)   変なタイトルで、ごみんなさい。本編を読んでもらうとわかるんだけど、中盤で「月」が出てきます。私の中で「家族」と「月」のイメージが重なると「月といもうと」という歌を思い出します(アルバムCD「さねよしいさ子 / 手足」<フォーライフレコード   FLCF-30119   1991年11月21日発売>収録)。うーん、メルヘン。ルナルナ……あ、三国志とはまったくもって関係ありません。   <<戻る

2)   例によって、譚其驤(主編)「中國歴史地圖集 第三冊三国・西晋時期」(中國地圖出版社出版)に物差しあてて書いてます。   <<戻る

3)   こちらは後漢書志第二十一郡國三を参考にしてる。なかなか使用頻度が高い。   <<戻る

4)   籾山明/著「中央新書1473 漢帝国と辺境社会 長城の風景」127頁より。と、むじんさんのサイト「むじん書院」(>>参照)の即席掲示板で同じような引用をしてましたが、こちらの方が先です。あの掲示板のやりとりはタイムリーだったのでした……ってなんてローカルな、しかも時間がたったら消えること、かいてるんでしょ(汗)   <<戻る

5)   三國志卷四十六呉書孫破虜討逆傳弟一の死亡年と年齢の記述から逆算したんだけど、引用するとネタバレになるのでこのままで。   <<戻る

6)   呉夫人の見た夢。 「初、夫人孕而夢月入其懷、既而生策。」(三國志卷五十呉書妃嬪傳第五の注に見える搜神記より)。搜神記か、、、   <<戻る

7)   はい、「よっぽど、文台の仕事っぷりが」からの記述からは「堅歴佐三縣、所在有稱、吏民親附。郷里知舊、好事少年、往來者常數百人、堅接撫待養、有若子弟焉。」(三國志卷四十六呉書孫破虜討逆傳弟一の注に引く江表傳より)が元ネタです。改めて、解説してみると、嘘っぽい記述に思えてしまう。江表伝だし。   <<戻る

<<
>>