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気になるアイツ(桓伯緒) |
030118
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▲江東星/絵「申し上げます。」![]() で、この人物は誰かっていうと、桓階(字、伯緒)。清岡のリクエストなのだ1)。 桓伯緒さんは、孫堅→張羨(劉表の敵対勢力)→曹操という順に仕えて、曹操配下で太常まで上り詰めた人物2)。 こう書くと何だか、その主君を変えつつ、世渡り上手なサクセスストーリーを今から書くような印象を与えるかもしれないけど、私が書きたいことはただ一つ! 孫堅−張羨時代の狭間。文台さん(孫堅)の死を引きずっていると思われる部分が書きたい&夢、見てしまうのだ。 だから、史書でいうところの「三國志卷二十二 魏書二十二 桓二陳徐衛盧傳」の冒頭部分だけなのだ。 伯緒さんは郡のお役人さん(功曹)をしているころ、当時、そこのボス(長沙郡の太守)だった文台さんにその才能を認められ、尚書郎に任命される。 太守孫堅舉階孝廉、除尚書郎。父喪還郷里。
というようなことで、任命されたと思ったら、次の文で、いきなり、伯緒さんの父親がなくなったので、彼は郷里に帰っている。 で、彼の悲劇は父親を亡くしただけでは留まらない。 なんと、郷里へ帰っている間に文台さんが亡くなったのだ。 文台さんは劉表さんとの戦争中、襄陽(南郡)近くの ![]() 伯緒さんの故郷が長沙郡の臨湘県というところだから、直線距離でも420km、離れている。 知らせが届いて、どれだけ急いで文台さん陣営に戻っても、ことが終わったという雰囲気だったんだろうと想像してしまう。 私だったら、失意におちて何もできないでいるのだろうなって思うけど、この人は違う。 行動派。 なんと、敵陣の劉表さんのところへ、苦難を覚悟で、文台さんの亡骸をとりにいったのだった。 そしてここで敵軍のボスである劉表さんも立派な人。 伯緒さんに亡骸をかえさなかったり、捉えたりすることなく、気前よく、文台さんの亡骸を劉表さんは彼に与える。 うーん、ジェントルマン同士の高度なやりとり。 史書で前後関係を見ると、その後、文台さんの亡骸はその後、曲阿というところに葬られたようだ4)。 しかし、伯緒さんの想いはここで終わらない。 まず、文台さんの部下たちと共に袁術さんのところへ行ったのではなく、どうやら、文台さんの後任の長沙郡の太守、張羨さんに仕えたようだ。 「え? 伯緒さんってなんて忠誠心のない人なんだ、孫家を見限るとは」と思うなかれ! その理由のヒントはすぐ後に現れる。 伯緒さんは張羨さんに進言する。 そう、きっと、上の絵のように魅力的で少し妖艶な眼差しを向けながら、「申し上げます。」と言ったに違いない。 進言の内容は割愛。 オイ、と読んでいる人に言われそうだけど、私には、とにかく当時の政治や勢力の状況を織り交ぜながら、もっともらしいことを口八丁に伯緒さんは言って、張羨さんをそそのかしているように見えるのだ。内容は二の次、要は結果。 つまり、張羨さんを劉表さんと戦うようにそむけてるように、見える。 自分の弔い合戦に張羨さんの力を借りているように!(妄想爆発! すみません。) しかも、張羨さん率いる長沙の軍だけじゃなく、隣の三郡をも劉表さんと戦うようにしむけている。 なんて、クレバーな弔い合戦なんだ! ところが張羨さんは戦時中に病気で亡くなってしまう。 んー、期間があいているとはいえ、続けて主君を亡くしてしまう伯緒さんは運が悪い。 それで、戦の勝者である劉表さんは、ジェントルマンらしく、伯緒さんを召し抱える。 ところが伯緒さん、病気を理由に雲隠れしてしまう。 これ以降は、もう語らなくても、いいとおもうんだけど、念のため。 過去に張羨さんをそそのかして、劉表さんと戦わせたことに気分を良くして、曹操さんに召し抱えられたというわけ。 ………ん? やはりサクセスストーリーみたいかね。
1) ちなみに小さく描かれているのは孔融(字、文舉)さん。この人も書く機会があれば是非、「気になるアイツ」シリーズに。 <<戻る
2) 太常。「秋七月、詔祀故大司馬曹真・曹休・征南大將軍夏侯尚・太常桓階・司空陳群・……」(三國志卷四魏書四三少帝紀より)のところから引用。尚書令桓階という記述が多いけど、どちらが官位的に上なんだろうかね。 <<戻る 3) 文台さんの最期。「堅撃破之、追渡漢水、遂圍襄陽、單馬行 ![]() 4) 曲阿に葬られた文台さん。「堅薨、還葬曲阿。」(三國志卷四十六呉書一孫破虜討逆傳より。孫策さんの記述のところ)。その後、多分、お墓が移動したんだけど、一度は行ってみたい場所。 <<戻る |
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