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蒼天航路4巻をあえて突っ込んでみる(3)
020812
<<蒼天航路4巻をあえて突っ込んでみる(2)

   というわけで、3回目。今回で最終回。
   いよいよ文台さんが現れたんだけど、あまり、文台さんには突っ込みを入れてない。
   やはり、私のファン心理?

(P.140、2コマ目)捕虜「昆陽の地に築いた食料砦だ」

   史書を見ると、確かに昆陽県は潁川郡にあったけど1)、黄巾賊が関係したとは私の知る限り、史書に書いてない2)
   おそらく、オリジナル設定なのだろう。
   史書に準じているかどうかより、なぜ、こんな設定にしたのかの方が私には興味がある。まぁ、これは読み進めていくとわかるんだけど、この昆陽に黄巾賊の重要な拠点があるとして、後の話の展開で、決戦の地にしている。
   曹操自身を活躍させ、歴史の流れを曹操、自ら作ったようなストーリー展開にしている。

(P.150、2コマ目)皇甫嵩「本陣の人公将軍張梁を討ってくれい」

   史書で張梁は潁川に居るのではなく、それより北の廣宗(冀州鉅鹿郡)に居る3)
   おそらく、これぐらいの地位の高い黄巾賊幹部を出さないと、物語として説得力に欠けるからだろう(もしかして、三国志通俗演義4)の影響かもしれないけど、清岡は演義を知らない)。昆陽を物語上の決戦の地に選んだことで、史書から大きくずれてる
   なので、私にしてみれば、反董卓戦で袁紹の元に文台さんがいるぐらい変、といった感じがする(って例えがマニアックすぎる失敗例)。

(P.151、1コマ目)孫堅「そもそも私が江南より率いて参った兵と中原の兵とは交わす言葉さえ異なります」

   これは突っ込み済みだけど、一応、もう一度。
   文台さんの軍は主に淮水と泗水あたりで集めた軍なので、江南なんてことはない020704-3)
   それとも作中でわざと文台さんは嘘をついて皇甫嵩の要件を受け付けないってことかもしれないけど、今までの流れからいくと、作中の設定では本当に江南の兵なのだろう。

(P.174、4コマ目)波才「しかも   守るは百戦錬磨の渠師・張曼成!   決して陥落することはなく」

   これは、潁川の本営にいる波才の言葉。張曼成が昆陽の食糧砦を守っていると言っている。

   史書で張曼成は荊州南陽郡に居る5)
   おそらく、黄巾側の実在する人物を誰か、この食糧砦に登場させて物語に説得力を出したかったんだろう。
   どうも、史書で戦場となっていない昆陽を決戦の地に選んだしわ寄せがここにも出ている。

(P.180、2コマ目、劉備に首を斬られる波才の絵)


   史書で皇甫嵩、朱儁、曹操の各軍が連合してようやく波才を倒したのに6)、蒼天航路では劉備の一撃であっさりやられている。
   曹操主役なので、別に劉備を持ち上げる必要がないように思えるんだけど、やはり、ここらへんは三国志通俗演義4)から脈々と受け継がれる伝統を少し踏襲したかったのかな……
   余談だけど、この前、つまみ読みした「北方三国志7)では、史書に見られる朱儁への数々の進言が、なぜか劉備一人のものになっていた。史書で朱儁と劉備は無関係だけど、三国志通俗演義からの伝統的な流れを考慮すると当然なのかも。
(P.188、3コマ目)厳忠「この護羌校尉・厳忠の指揮下においては……」

   ここらへんを読んだとき真っ先に「厳忠(嚴忠)って誰?」と思う。
   そこで正史を調べてみると、宋史にその名前を見た8)……って明らかに時代が違いすぎるね……
   というわけで、この人物はどうやら、オリジナルの人物だと思う。蒼天航路にしては珍しい……のかな?

(P.211、1コマ目、斬られて倒れる張曼成)

   ここも波才と同様、倒す人が違う。
   史書では張曼成は秦頡という人に討たれている9)。先にあげたように昆陽ではなく南陽郡の宛でのこと。
   作中で張曼成に殺された張奐という人物は、これ以前の巻を読んでいないので、同一人物かどうかわからないけど、史書で張奐は光和四年に78歳でなくなっている10)。作中の時期より三年前。

   よくよく考えてみると、この張奐という人物は蒼天航路4巻を見ただけでも、大きく取り上げられている方だから、その死に様を盛り上げるために、張曼成をここに配したのかもしれない。

(P.219、7コマ目)曹操「焼け」

   このセリフ前後は蒼天航路での黄巾退治のクライマックスシーンだけど、そのほとんどがオリジナル設定になっている。
   なので、一つ一つ、突っ込んでいくのは、書く方も読む方も疲れると思うので、概要をとりあえず書く。

   まず作中の流れ。黄巾の重要拠点・食糧砦(潁川郡昆陽県)を厳忠、曹操、孫堅らがおとす。ところが、黄巾の援軍二万を招く結果になる。そこで曹操は、黄巾の援軍を食糧砦内に誘い入れ、食糧ごと焼き、黄巾の援軍をわずかな兵で敗ることになる。

   それに対する史書の流れ。皇甫嵩が潁川郡長社県の城まで兵を進めると、黄巾の波才軍にその城を大軍で包囲される。皇甫嵩の軍は精鋭を夜陰に乗じて城外に火を放させた上で総攻撃し、波才軍をわずかな兵で遁走させる11)。その後、皇甫嵩の軍は、朱儁の軍、曹操の軍と共に潁川郡陽てき県で波才の軍を敗ることになる6)

   これらを見ると、両者には、曹操の火計、皇甫嵩の火計という大きな違いがある。
   このことは、前にも触れたように、史書で皇甫嵩が成したことを作中で出さず、さらにオリジナル・ストーリーを付加することで、「蒼天航路」主役の曹操の活躍を読者に印象づけようとした結果のような気がする。

   ただ、その反動で、史書で果敢に奇策を用い活躍した皇甫嵩が作中で事なかれ主義のような描かれ方をしたのは残念なんだけど。


   と、一番、書きたかったことを書いたところで「蒼天航路4巻をあえて突っ込んでみる」は今回で終了。
   ここまで読んでくださってありがとうございました。



1)   「後漢書志第二十   郡國二」より。ちょうど、郡國二は豫州と冀州について。   <<戻る

2)   私が目をとおした(つもり)のは後漢紀、後漢書、三國志。もちろん、見落としは可能性特大   <<戻る

3)   「冬十月、皇甫嵩與黄巾賊 戰於廣宗、獲張角弟梁。」(後漢書卷八孝靈帝紀第八)とあるように張梁は廣宗にいる。ってこれは020714-10)でも引用しているなぁ。   <<戻る

4)   しつこういようだけど、清岡は「三国志通俗演義」を読んだことないし、どういう書物かあまり詳しくない。話によると、元末明初に書かれた羅貫中著の劉備主役(?)の小説らしい。史書に載るような歴史を多く取り入れているそうだけど、一部、他の人の手柄が劉備の手柄になってたりと、史書と異なる点があるそうだ。   <<戻る

5)   「時南陽黄巾張曼成起兵、稱『神上使』、衆數萬、殺郡守ちょ貢、屯宛下百餘日。」(後漢書卷七十一皇甫嵩朱儁列傳第六十一)より。張曼成はこの後、死ぬまで南陽郡の宛で戦ってる。   <<戻る

6)   「嵩・儁乘勝進討汝南・陳國黄巾、追波才於陽てき、撃彭脱於西華、並破之。」(後漢書卷七十一皇甫嵩朱儁列傳第六十一)より。波才軍の包囲を奇策によってようやく突破した後の記述。史書ではかなり苦労して皇甫嵩が波才を倒す。   <<戻る

7)   「北方三国志」はファンの間での通称。北方謙三先生が書く三国志のことを指す。例えば、北方謙三先生著「三国志 一の巻 天狼の星」角川春樹事務所刊(ISBN4-89456868-3)がそれにあたる。
   これも私はちゃんと読んでいないけど、ファンの間では「ハードボイルド三国志」として有名。   <<戻る

8)   「宋史卷三十二本紀第三十二高宗九」で見かける……ってホントに見かけただけなので、コメントのしようがない(笑)。   <<戻る

9)   「後太守秦頡撃殺曼成、賊更以趙弘為帥、衆浸盛、遂十餘萬、據宛城。」(後漢書卷七十一皇甫嵩朱儁列傳第六十一)より。実は5)のすぐ後の文。張曼成がちょ貢を殺したと思ったら、次の文で今度はその張曼成が殺されている。なんとも殺伐としているというか…。この文を見ると黄巾賊はすぐ趙弘を指揮官にしている辺りがすごい。   <<戻る

10)   後漢書卷六十五皇甫張段列傳第五十五より。ここでの張奐(字、然明)は伝にたてられるほどの有名人物。同一人物だとすると、物語的に面白い。   <<戻る

11)   「儁前與賊波才戰、戰敗、嵩因進保長社。」(後漢書卷七十一皇甫嵩朱儁列傳第六十一)からはじまるところ。長くなるので割愛。ここの皇甫嵩は孫子から引用した文で部下を説得したり何かと格好いい。   <<戻る

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