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清岡さんと皇甫嵩の火計との間にそんな因縁が…(^^;)
そうなんですよね。三国志以前になると、『左傳』をひっくり返しても、有力な火計利用は出ていませんでした。
と言って、私が今回赤壁考察組んで、一番問題になったのも風向きと火の広がり方でした。
清岡さんとチャットで話しをしたときに、やっぱり「赤壁では風上から火をつけているけれども、危険ではなかったのか?」という話になったことがあったではありませんか。
>で、結局、火は風上へ燃え広がる、ということで皇甫数の火計を小説で書きました。ほとんど後で書き直してもいいかなと考えてです。
>(孫子の記述が「火發上風、無攻下風」と曖昧表現ですし)
火計に関しては、その場所の特性もあるのではないかと考えます。
通常、火は酸素のあるほう(つまり燃えてしまって二酸化炭素が発生している方向とは反対)へと燃え広がりますけれども、風が入るといくらか条件が変わってくると思います。
まず、風に煽られれば、火は風下へと向かうのは普通です。蝋燭などですよね。
条件として、風下で、火の届くところに燃えるものがあれば、風下のものは燃えます。ですから『孫子』の定義どおりにすると、水上で火を使うことは想定されていませんから、敵陣の周りに萱などの燃えるものを敷き詰めて火をかけるというように解釈されます。そうすると、風に煽られた火は風下にある萱を燃やして広がるということになるのではないでしょうか。
風上へ火が向かう場合ですけれども、これは酸素のある方向へと流れる場合ではないでしょうか。その場合にも、酸素のある方向に可燃物があることが想定されるはずです。火が上に向かって燃えるというのは、二酸化炭素の比重が酸素より重いため、上空の酸素を求めて燃え、可燃物がないために空中で消滅すると思われます。(中学校のときの知識フル活用だ、なんだか狭い知識だぞ自分…)
赤壁では、風上と風下、どちらにも地続きで燃えるものはないので、火の粉が風で流されて燃え移ると考えられます。そうすると、風下のほうが不利になりますです。(今じっくり考えたらそうなっただけの結論)
結局のところ、わからないです。火攻め恐るべし。
…今度いっしょに火計の実験やりましょう…。私も加担します!長江で萱を積んだ舟を燃やす!!(←そこまで言ってない)
※一番近い記録ですと、東京大空襲のときにB29によって投下された焼夷弾は風で流されて、風上の家屋は燃えずに無事であったという記録があります。
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