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はい、どうも清岡です。
お楽しみは後、ってことでこのレスを後回しにしていたら、風邪、ひいて寝込んでしまいました(苦笑)
▼むじんさん:
>>……ところで、この「載記」って正史ではどういう位置づけなのでしょう?
>>本紀や列伝や志とは別もんなのでしょうかね。
>どうなんでしょう。準本紀ってところでしょうか。『三国志』でいうと先主伝みたいな…。テキストに関しては皆目見当が付きません。もすさまか中根東竜さまがご存じかも知れません。あとはやはり【解体晋書】のみなさま。
と、気になったので、とりあえず角川新字源で調べてみると、乗っていました。
載記「ある王朝の時代に、中国内で別に独立していた国々の歴史を書いたもの。」
うーん、確かにその通りなのですが、その区分ができた経緯とかが知りたいですね。
載記といえば、「山陽公載記」なんて書名もありますけど、これも独立した勢力のことが主に書かれているんでしょうかね。
>むむ…演義派としては聞き捨てなりませぬな。祖茂さんは呉郡富春の人、字は大栄に決まっとりやす!でも演義では華雄にあっさり斬り捨てられる端役なのね…(>_<)
はははは、そうでしたね、むじんさんは演義派でしたね。
羅貫中さんが祖茂さんを孫堅の四将に選んだのか、未だに私の中で謎です。。。
ちなみにコバルト文庫「約束の時へ」の祖茂さんの字は「季遠」です。
>>黄巾蜂起のシナリオでちゃんと皇甫嵩配下にいないといけませんね。
>>それで、黄巾の三渠師(だったでしょうかね・うろ覚え)を倒したのですから、
>>武官能力の初期値を高めにしておいて…(妄想広がり中・笑)
>へへ、いやいや武力は低めに設定して、知力で功績を挙げさせないといけませんぜ〜。まあ少なくとも韓遂・馬騰よりは低めに。というわけで、武力70前後、知力90台あたりで手を打ちませんか。
そうそう、南容さんが斬ったのは、黄巾の三帥で、卜巳、張伯、梁仲寧ですな。
清岡的には、身長が八尺もあって、あんな容姿だったら、武力に秀でた偉丈夫を想像してしまいます。。。
(って孔明も身長は八尺ですが)
なので、清岡的には文武両道の人物ってところでしょうか(笑)
だけど、融通が利かないので早死にの気があります(汗)
>>私は、あのセリフはしゃべっている頃の李カクと思い出(笑)の中の文台さんとを
>>比べてのことと捉えましたよ。
>>なので、李カクはいたかどうかはあまり考えてませんでした。
>鄭泰の言うことには、董卓配下の諸将がよく実戦経験を積んでいるということなので、李カクや郭シが含まれてるのはほぼ確実だと思います。しかし最近気になるのは董越さん。一体何者なんでしょう。それに牛輔さんですね。彼もやっぱりそのころから活躍してたんでしょうか。
董卓配下には隠れた逸材揃いですな。
董越さんですか?……その名前は初耳です。
ちょいと、調べてみると、名前は見かけるのですが、どんなひとなんでしょうかね。
>孫堅はほんとに初期の活躍がはっきりしてないですよね。決して武功がないとは思えないのですが。ふむ、なるほど『資治通鑑』には記載がありますか。今度確認してみます。いま拙サイトで孫堅伝を訳出中なので(^^
「資治通鑒」は他の史書に書いてあるようなことばかりですが、編年体とあって、時系列がきっちりしてます。
ここらへんの順序が「いいのかな?」なんて思ったりします(笑)
えーと、韓遂デビューあたりで載っているのは、文台さんの進言二つです。
あ、孫堅伝の訳出、とても楽しみです♪
訳が終わったら、孫堅同盟(http://www.geocities.co.jp/Playtown-Toys/9739/papaunion.htm)で紹介したいです。
>>それと、いろんなメディアでの三国志系って、黄巾が終わったらすぐ反董卓前にとびがちなのも歯がゆいです。
>>きっちり、韓遂デビューあたりを描いてほしいかな、と。
>なるほど、そういえばそうですね。あまり意識してなかったですが。馬騰・韓遂がどうして登場したかご存じない方も多いんでしょうね。勿体ないなぁ。いかにも下克上っぽくてかっこいいのに…(^^
そうそう、馬超ファンの方でもいきなり反董卓あたりまで飛ぶんですよね。
だから、涼州の乱を詳しく説明して、そして南容さんのことも詳しく説明して……(話がループ・笑)
韓遂のことを追うと、裏っかわから三国志がわかりそうで良いですね。
下克上……言われてみれば、そうですね。
三輔まで迫ったのは、痛快なものを感じます♪
>うわー、それは準備が大変そう(>_<)それだけのバイタリティが羨ましく思われます〜。むじんが参加することはないと思いますが、次回のレポートには期待させていただきますね〜♪
はい、期待していただき、ありがとうございます♪
そろそろ主催しないオフ会にも参加したいですな。
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