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▼muracchiさん:
>教えていただきたいのですが、渭水・潼関の戦いで離間の計によって韓遂を疑い、馬超が韓遂を殺そうと自ら韓遂の陣へ乗り込み韓遂の腕を切り落とし「バガン」と
>「リョウコウ」を斬ったとあります。
>これは事実なのでしょうか?
>ご教授ください、よろしくお願いいたします。
こんばんわ。
「〜を斬ったとあります」とあって、それがどこにあったのか(あるいはどう知り得たのか)判りかねますが、下記のように『三国演義』第五十九回で同じ話がありました。
・『三国演義』第五十九回:許[ネ'者]裸衣鬥馬超、曹操抹書間韓遂
超一劍望韓遂面門[(几/木)リ]去、遂慌以手迎之、左手早被[石欠]落。五將揮刀齊出。超縱歩出帳外、五將圍繞溷殺。超獨揮寶劍、力敵五將。劍光明處、鮮血濺飛:[石欠]翻馬玩、[(几/木)リ]倒梁興、三將各自逃生。
<清岡による頼りない訳>
馬超は一剣で韓遂を望み、門に面し斬り去り、韓遂は慌てて手でこれを迎え、左手が早く被り斬り落ちた。五将(侯選、李堪、梁興、馬玩、楊秋)は刀を揮(ふる)い揃って出た。馬超は縱歩し帳の外へ出て、五将は取り巻きみだれ殺した。馬超は独り宝剣を揮い、努めて五将に敵対した。剣の光は場所を明るくし、鮮血は流れ跳んだ。馬玩を斬り跳ばし、梁興を斬り倒し、三将はおのおの自ら逃げ生きた。
これでしょうかね?
これに対応する話が『三国志』とその注にあるか見てみると、とりあえず梁興、馬玩は『三国志』蜀書馬超伝の注に引く『典略』にその名前が見え、梁興だけだと、『三国志』魏書武帝紀、『三国志』魏書夏侯淵伝、『三国志』魏書鄭渾伝、『三国志』魏書張[合β]伝、『三国志』魏書徐晃伝にその名前がありますね。
例えば、『三国志』魏書徐晃伝だと
太祖還[業β]、使晃與夏侯淵平[鹿β]・夏陽餘賊、斬梁興、降三千餘戸。
(清岡による訳:太祖(曹操)は[業β]に還り、徐晃と夏侯淵に[鹿β]と夏陽の余賊を平定させ、梁興を斬り、三千戸余りを降らせた)
となっており、他の箇所も同様、梁興が馬超に斬られたという話は『三国志』やその注にはないですね。
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