|
▼清岡美津夫さん:
どうも、真壁です。
御意見、御指摘、どうもありがとうございました。
勉強させて頂き、また、参考になりました。
今回は返事を兼ねて、せっかくですので、この機会を利用して、
今まで色々と疑問に思っていた点についても、僭越ではございますが、
質問をさせていただこうと思っていおります。いつもの、長々しい私の
主張も健在です。
どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
いちおう、システムとしては、シミュレーションで想定しています。
私も、色々なシステムに惹かれますが、今は、「気軽に戦争を楽しめる」
という点で、私の中では評価が高いKOEIの『信長の野望 烈風伝』の
システムを頭の中で基礎として、「三国志」の本や資料を読んでいます。
>>今、ぱっと思いつくのは
>
>>190年1月「董卓打倒」
>> 袁術 南陽 魯陽 張勲・李豊・紀霊・劉詳・他
>> 張咨 南陽 宛 いたはず
>> 王叡 荊州 襄陽 いたはず
>
>このあたりが微妙ってことですかね。
>
>後漢書 孝獻帝紀だと
>
>(初平元年 是歳)孫堅殺荊州刺史王叡、又殺南陽太守張咨。
>
>初平元年(西暦190年) この年に孫堅が荊州刺史の王叡を殺し、また南陽太守の張咨を殺した
>
>ってなっていて、
>
>三国志魏書袁術伝だと
>
>董卓之將廢帝、以術為後將軍;術亦畏卓之禍、出奔南陽。會長沙太守孫堅殺南陽太守張咨、術得據其郡。
>
>(前半、省略)たまたま長沙太守の孫堅が南陽太守の張咨を殺し、袁術はその(南陽)郡を得てよりどころとした。
>
>ということなので、一月の時点では微妙ですね。
>
>張咨(南陽太守) 南陽郡 宛
>王叡(荊州刺史) 武陵郡 漢壽
>
>↑とりあえずこういう感じにしておいて、イベントか何かでそれぞれ袁術と劉表にかえるんでしょうかね。
>それから劉表のイベントで州府が襄陽に変わるんでしょうね
御指摘、ありがとうございました。
こちらの御指摘の件ですが、後漢の荊州の州都は、この時はまだ武陵郡の
漢壽だったのでしょうか? 陳舜臣『秘本三国志』では、「州都は漢壽から
移り、この時代は襄陽」という主旨のことを明言していましたので、つい
つい深く調べずに書いてしまいました。勉強になりました。
私の群雄一覧も、特に地名については、このほかにも、かなりいい加減な
ことを書いているかもしれません。
袁術については、私のイメージでは、最初は南陽の魯陽で董卓に対して
備えていて、南陽の宛が孫堅のおかげで空いたので、宛に入った、という
流れで記憶しているのですが、どんなもんでしょうか?
ゲームにするなら、190年でゲームが始まったところで、プレイヤー
が孫堅なら、「董卓を討つために北上するか否か」を選ぶ『孫堅北上イベント』
が起こるようにしたいところです。「可」を選べば、勝手にイベントが起こり、
王叡と張咨が謀殺され、清岡さんのおっしゃるように、孫堅が袁術と魯陽で
会見し、破虜将軍、領豫州刺吏になる、という形が理想的です。
「否」を選ぶと、自力で北上するか、長沙でコツコツやるか、自分の力で
プレイせねばなりません。なお、孫堅でプレイしていないなら、このイベント
は勝手に起こります。
>イベントと言えば、董卓が[各隹]陽(らくよう。後漢での表記らしい)を留守にしたら、河南尹の朱雋が反乱を起こすとか、孫堅が袁術と魯陽で会見すると、破虜将軍、領豫州刺吏になるとか、長沙太守の後任に張羨が選ばれたりとか、いろいろありそうですね(例えば趣味丸出しですが・汗)
朱雋のイベントは面白そうですねえ。KOEIの『三国志』では、朱雋が董卓の
部下として活躍し続ける傾向にあるように思えるので、そういったイベントが
あった方が、リアリティが増します。イベントでは容量的に無理なら、朱雋が
比較的董卓を離反しやすい設定にするのも一つのテです。
長沙太守の後任ですが、直接すぐに張羨で良いのでしょうか? と申します
のは、『三国志』劉表伝の注にある、長沙太守の蘇代なる人物が気にかかって
いるからなのです。彼は何者なのでしょうか? 単に自称していただけの人
でしょうか? 『三国志集解』などでは既に否定されている人物かもしれません
ので、読んでいない私としては大きなことは言えませんが、そのへんで、
ちょっと、つまづいてます。
ところで、つまらないことをおうかがい致しますが、[各隹]陽は、いつ洛陽に
代わったのでしょうか? 魏の都になってからでしょうか?
>それと「群雄」の考え方ですが、黄巾の乱初年〜反董卓の時期はうまく当てはまりにくいことが多いのかな、と思います。
>当人たち(太守)は、独立した勢力の主君と自覚していた人は少ないと思います。
これは、おっしゃられる通りかと思います。
二袁の争いくらいからでしょうか、群雄(太守)たちが群雄割拠を意識しだした
のは。
KOEI『三国志』の「黄巾の乱」のシナリオは、ちと現実離れしているような
気がして、私としては、あまりプレイする気になりせん。
>そこらへんは何か今までにないようなゲームの概念(時代性とか帰属意識とか緊急性とか)を入れることで解消できそうな気がします。
なるほど。それは面白いアイディアですねえ。参考になります。
ゲームにするなら、「後漢への忠誠度」という形にするか、「後漢の威光度」
という形にして、この数値が高いと群雄は静まり、この値が低いと群雄が
好き勝手にする、という形でしょうか。
>既存のゲームと史書とのギャップを私は少し興味あります。
「既存のゲームと史書とのギャップ」についてですが、これは、書きたい
ことが山ほどあります。長くなるとアレですので、それは別の機会にまわす
ことにして、今回は、KOEI『三国志』シリーズに対して、一つだけ書かせて
いただこうと思います。
今、一番思うことは、「董卓打倒のシナリオで、なぜ群雄・張バクでプレイ
できないんだ!」ということです。なんか知らないが、曹操の配下で、まるで
野盗と見まがう風貌です。『秘本三国志』なら、かなりイイ奴なんだけどなあ。
陳留に曹操を置かないといけない都合上から、本来の陳留太守の張バクは、
曹操の配下扱いなんでしょうが、これは、私のような張バクファンにとっては、
辛い仕打ちです。新君主で、別の張バクを作って君主にしようと思ったら、
同名の奴は作れないという。仕方がないので、弟の張超を作ってプレイする始末
です。ああ、なんと悲しいことでありましょうや。
かつて中学生時代、『三国志2』が発売した時、友人の冷ややかな視線を横目に、
新君主でオフラを作ってプレイしたことを思い出します。『秘本三国志』で、
オフラがシブかったので、オフラでプレイ。しかし、部下もいないので、
友人たちが孫堅や曹操で国を富ませている間、セコセコと人材集めから始めて
ました。せっかく引き抜いた人材が、次のターンで取られた時は、涙が出そうに
なりました。『三国志3』では、三好徹『興亡三国志』で劉虞がイイ奴だったので、
劉虞でプレイ。今や劉虞ではプレイできるようになり、私は毎回最初は劉虞で
プレイしていますが、オフラ・張バクを君主としてプレイできないのが淋しい
限りです。
「ギャップ」というより、単なる愚痴になってしまいました。「ギャップ」
については、また機会がございましたら、書かせて頂こうと思います。
ということで、今回はいかがだったでしょうか?
また、御意見、御指摘、御教授などを賜れれば幸いです。
ジョージ真壁
|
|