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「曹操墓と曹休墓について」
中国社会科学院考古研究所所長 王巍
昨日、こんなタイトル、研究者の発表がありましたので、見てきたことをご報告したいと思います。
(小生の日記、書き込みなどから転載し、加筆修正しています。)
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2010年11月3日(祝)
奈良県橿原市の文化会館大ホール(定員1280人)
奈良県立橿原考古学研究所公開講演会「東アジア王墓フォーラム 東アジアの王墓と桜井茶臼山古墳」
http://cte.main.jp/newsch/article.php/1816
(三国志ニュース 東アジア王墓フォーラム(2010年11月3日奈良県橿原市)
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1.【曹操墓】
曹操墓から出土した鉄剣、鉄甲、金のボタン、金モールなど、あまり見かけることのない数多くの画像がパワーポイントで紹介されました。
「魏武王常所用挌虎大戟」の銘文で有名な「刻銘石牌」62枚のうち、61枚は盗掘ではなく、発掘によって発見されたことが説明され、捏造ではなく出土品であることを示す根拠として、土に埋まった状態のある一枚の「刻銘石牌」の写真が示されました。
かぶった土の上に赤い漆がべったりと付着している様子から、この「刻銘石牌」はこの西高穴2号墓からの出土品であると説明しています。
2.【曹休墓】
曹休墓から出土した「曹休」銘の印章は、曹休個人がつくらせた私的な持ち物だろうとし、この画期的発見によって、曹休墓の様式の年代が228年と確定し、今まではっきりとは分からなかった魏晋時代の高級身分墓葬の年代整理の大きな前進になるということです。
また、魏晋時代の庶民の墓については、倭国の墓葬との比較が橿考研の側から期待されていましたが、詳しい研究は未着手であるということです。(発表後のパネルディスカッションにて)
3.【曹操墓の論争について】
ほか、今年の正月に中国社会科学院考古研究所が中国の新聞に発表した、曹操墓の懐疑騒動への反論が紹介されています。
更に、6月に江蘇省に23人の学者が集まって曹操墓を否定した公開討論に対して、7つの反論を行ったと説明し、そのうち5つの反論が詳しく説明されました。
(残りの二つについては、パワーポイントに中国語の説明文が提示されていましたが、幕が暗くて判読が追い付かず、口頭での説明はありませんでした。判読できた方がいらっしゃいましたらご教示をお願します。)
※5つの反論のメモがまとまりましたら、書き込もうと思います。
一連の騒動は、考古学の理解不足に起因する点も多く、一層の努力を務めていきたい、と結論され、「どうか信じてください」という言葉(中国語)で締めくくられました。
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