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たびたびすいません。白湯と申します。
晋書の資料を読んでいて、はたまた疑問に思う点が見つかったので、どなたかお教えいただけると幸いです。
晋書の宣帝の妻・張皇后の記述で、曹操の仕官の誘いを司馬イが通風だと言って断わるが、司馬イが書物を取りに行くところを下女が見てしまい、張春華がその下女を殺す。というのがありますよね。
また、晋書の宣帝紀では、曹操の仕官の誘いは建安6年(201年)からなんですよね。
ところが、晋書で張春華は247年没の享年54歳となってますから、189年生まれです。とすると、春華が11〜13歳くらいの時にはすでに結婚していて、人を殺していた。ということになりますが…。
いくらなんでも若くないですか?当時、皇帝ならまだしも、女性が11〜13歳ですでに結婚できたのでしょうか。
…だとしたらうらやまsi(略
曹操は何度も司馬イに仕官の誘いをしていると思うんですが、最終的に曹操に仕えるのは、曹操が丞相になる208年です。7年間もの間、寝たきりの振りをする分けないのですが、宣帝紀をみた限りでは通風だという理由で断わったのは最初の頃だと思います。
となると、やっぱり張春華はそんなに幼くして10歳も年の離れた仲達おじさんに貰われちゃったのでしょうか?
少年(少女?)犯罪に走っちゃったのでしょうか?
春華の父の張汪は、そんなに司馬イが気に入って幼い娘を嫁にだしちゃったのでしょうか?
ただ単に資料の信用性が低いだけでしょうか?
気になっておちおち生きてられません。 m(__)m
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