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こんな遅くにすみません。論点がずれている様なので一言。
>趙雲の武勇…ないっしょ。
これは個人的な武勇に関してなのか。それとも軍を率いた時の功績なのか。
書き方が短絡的なので、理解されにくいです。
人に説明するのだから、もう少し具体的に書きましょう。
たしかに軍を率いた時の功績は少ないですね。
それに個人的な武勇も、誰それを斬った等の記述もありませんね。
ですが、劉備の身辺警護を任されています。
特筆するような武勇は無いにしろ、関羽・張飛が納得できる
個人的な武勇は持ち合わせていたのだと推測できます。
呉での婚姻の時でも身辺警護を任されていたようなので
相手に失礼の無い行動が出来る礼節をわきまえ、
不測の事態にも対応できる人物と評価されていたのだとも推測できます。
簡単に「武勇は無い」と言い放つのは
あまりにも無配慮な事だと思います。
>趙雲別伝という『家伝』
別伝はあったのか無かったのか。
裴松之が伝に加えているので、
裴松之の時代には存在していた物だったのでしょう。
別伝が家伝かどうかは、わかりません。
どこから家伝であるという資料が出てきたのかわかりません。
人に教えるのですから憶測ではなく、
資料に基づいて詳しく説明しましょう。
田舎もの様は、「別伝」の存在を聞いているのです。
その質問に答えずに知識をひけらかすような事は慎んだほうが
良いかと思われます。
おそらく、「ゲームや小説のような趙雲を想像するな」と
言いたいのだろうと思います。
史書からどう読み取るかはペテン師様の勝手です。
ですが、その勝手な評価を他人へ押し付けるのはやめたほうがよろしいと思います。
正史をバカ正直に読めば、趙雲は許チョや典韋と同類だと思われます。
劉備の近衛隊長と思ったほうが自然ではないでしょうか?
そうであれば、地域の統括職に就く必要はありません。
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