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魏晋南北朝時代に力点を置かれている方って、
>> あと漢民族と異民族の差別は、どんなだったのでしょうか?
>うーん、現代は民族を強烈に意識する時代なんですが、
>そのような信仰が生まれたのは一昔前のヨーロッパなんですよ。
>三国時代に人種差別がまったくなかったわけではありませんが、
>民族という概念が希薄ですからそれによる差別も当然徹底されません。
>それ以前に、この時代だと漢民族という概念そのものが、
>あるようなないようなって状態ですからねぇ。
という風に回答されていることが多いですよね。
あくまで「多い」という傾向を指摘したいだけなんですけど。
私は民族という言葉が定着したのがごく最近のことだとしても、それだけで「民族は無かった」と言い切ったりしては学問的に損をすると思っているんです。
「あるようなないような」は中立的な見方ですけど、そういう風に対象を曖昧にして議論していては「民族」問題に真正面から俎上に上げることができないんです。
魏晋南北朝時代の「民族」は現代人が日頃抱いているような民族観念では把握することができないですけど、「民族」信仰が最初に生まれたのが一昔前のヨーロッパとは私は思わないのです。
簡単なことですが、「政治」も「経済」も「宗教」も一昔前のヨーロッパで生まれたからそれ以前には人々から信仰されていなかったんだ、と言うと語弊がありますよね。
これらの学術用語は確かに一昔前のヨーロッパで生まれたものですから、例えばニューギニア高地人の研究をする際にヨーロッパとそっくりの「政治」や「経済」や「宗教」観念がニューギニア高地人の伝統社会にもあるはずだと主張したりすると、その説の語る「政治」「経済」「宗教」は怪しくなってしまうんです。
逆にヨーロッパとはまるで異なる「政治」「経済」「宗教」がニューギニアにあるはずだと考えると、何も不都合は無いはずです。
例えニューギニアの伝統社会に「政治」「経済」「宗教」という言葉が無かったとしても、研究者が対象にする「政治」「経済」「宗教」の分科は確かに存在しているのですから。
それと同じことが「民族」にも言えます。
ここで言う「民族」はヨーロッパの「民族」ではありません。
現地社会の歴史研究において「民族」の分野は存在しうるのです。
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