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自己レスです。
>ところで、この漢魏の制による服喪期間とは、どの位の期間なんでしょうか?
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この問題について何か手掛かりがないかと思って『魏志』を読み直していたら、武帝紀に次の記事があることに気が付きました。
(建安二十五年春正月)庚子、王崩于洛陽、年六十六。遺令曰、天下尚未安定、未得遵古也。葬畢、皆除服。其將兵屯戍者、皆不得離屯部。有司各率乃職。斂以時服、無藏金玉珍寶。諡曰武王。二月丁卯、葬高陵。
建安二十五年春正月庚子(二十三日)、魏王(曹操)は洛陽で崩御した。年六十六。
遺令にいう。「天下はなお安定していない。古の制度にしたがうことはできない。葬が終わったらみな服喪をとけ。将兵の持ち場についている者はみな持ち場を離れるな。役人は職務に専念せよ。遺体を包むには時服を用いよ。金玉珍寶は墓に入れてはいけない。」
諡を武王という。二月丁卯(二十一日)高陵に葬った。
つまり、服喪期間は“死んでから埋葬が終わるまで”ということになります。これが『晋書』武帝紀にいう「漢魏の制」による服喪期間だったんですね。
まあ、質問しておいて、自分で答えを出してりゃあ世話がないですが、これで疑問が一つ解けました。しかし、読んでいるつもりでも、なかなか細かいところまでは読んでいないものですね。
委面如墨
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