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初めまして、清岡です。
それは初耳でしたので、何刷等を考えず、一応、手元にあるハードカバーの『世界古典文学全集24 三国志』(筑摩書房)、文庫の『正史 三国志』(筑摩書房)で確認すると、おっしゃるとおり、「左の鎖骨」となっていますね。
それに対して原文の『三国志』(中華書局)、『三国志集解』(藝文印書館)で確認すると、おっしゃるとおり、「右脅」となっていますね。
念のため、『太平御覧』で確認すると、卷三百七十一 人事部十二 脅の項目に件の箇所が引用されており、やはり「右脅」となっていました。
左右の違いはともかく、「脅」を『CD-ROM版 字通』で引いてみると、訓義の「1」が「わき、わきばら、あばら、かたわら」となっており、さらに『説文』の「両膀なり」を引き「両脇の意とする」と書かれてあり、特に「肩」という意味はありませんでした。
まさかと思い、『三国演義』(毛本、電子文献)を見ると、「第五十一回:曹仁大戰東呉兵、孔明一氣周公瑾」に「周瑜急勒馬回時、被一弩箭、正射中左肋、翻身落馬。」とあり、左右の違いはありますが、「左肋」とあばらを意味する言葉が出ています。
もしかして版によっては「左の鎖骨」を意味する言葉になっているかもしれませんが、通行する『三国志』では「右脅」で良いと思います。訳す人の所へ渡った文が違ったものになっていたか、渡った時に情報損失(原文の字が潰れていた等)があったんでしょうかね。『三国志』の訳は他にも徳間書店のものがあるそうですので、念のためにそれで確認するとよいかもしれません。但し私はそれに『三国志』巻五十四呉書周瑜伝の訳が載っているかどうか未確認です、すみません。
あと当時と今ではおっしゃるとおり左右の概念が違うという可能性がありますね。例えば、主体視点の左右か、主体と向かい合った客体視点の左右かと言うことですね。
時代の近い『礼記』(とは言っても成立が数百年遡りますが)を読む限り、左右の概念は今と同じだと存じます。そこには前後左右以外にも東西南北が記されていて、矛盾無く読めますので。
▼中彎さん:
>はじめまして。こちらでは中彎と名乗ることに致します。
>中年の三國志ファンです。
>
>正史とちくま訳との間の違いで気になったことがあり、
>詳しい方にお教えいただきたく、思い切って投稿致します。
>
>『三國志』周瑜伝で、「赤壁」のあとの対曹仁江陵攻防戦の場面、
>周瑜は負傷しますが、その様子について、
>
>中央研究院 漢籍電子文獻 によれば、
>
>會流矢中右脅
>
>となっており、対してちくま学芸文庫の訳では、
>
>流れ矢が左の鎖骨に命中し、
>
>とされています。
>
>左右が逆のように思うのですが、これで正しいのでしょうか。
>それとも「左右」について、今と違う用法があったのでしょうか。
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