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▼たいがあさん:
棋道の歴史は詳しくないのですが、手持ちでわかる範囲で。
『三国志』崔(王+炎)伝の裴注引ける『魏氏春秋』だと「(亦+廾)棋」になってますね。
んでとりあえず大漢和見たら、『説文解字』に「(亦+廾)、棊を圍むなり」とあって、
だから囲碁だよ、とありました。
ついでに『左伝』の正義に「『方言』に云う、圍棋は之を(亦+廾)と謂う。
関東自(よ)り齊魯の間は皆之を(亦+廾)と謂う」なんてありました。
孔融は魯人ですから、囲棋でなく「(亦+廾)棋」となるんでしょう。
もっとも、裴松之は『魏晋世語』の
(孔融)顧みて二子に謂いて曰く、「何をか以て辞せざる」と。
二子倶に曰く、「父尚ほ此の如くんば、復た何をか辞する所あらん」と。
というやりとりを元に孫盛が捏造したと考えているようですが。
余談。
『世説新語』見たら「琢釘戲」になってました。
大漢和の説明そのまんま読むと
當時 金陵の童子に琢釘戲有り。地に畫きて界を爲(つく)り、
先ず小釘を以て地を琢(ついば)み、名づけて簽(しるし)と曰い、
簽の在りし所を以て主と爲し、界を出でし者は負け、
彼れ此れ中(あた)らざる者は負け、
中るも主とせし所の簽に觸るるも亦た負け。
とのことで、地面に升目を書き、小釘を打ちこんで当たり升を決め、その周囲に大釘を打ち込むゲームのようです。ダーツみたいな感じでしょうか。
金陵すなわち建業なので孔融の子が遊ぶにはやや違和感ある、というか
世説が南朝の成立なんでそうなっちゃったのかなー、と思ってみたり。
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