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▼さんすけさん:
>今ふと思ったのですが、演義が元ネタということは、
>碧眼児というのも羅貫中の悪意なんではないでしょうか?
こんにちは。碧眼児についての話題、楽しく読ませて頂いてます。
孫権が碧眼児とされたのは、悪意によるものではないかとのお考えですが、
私はそのように考えたことがなかったもので、とても新鮮な解釈でした。
私が聞いた話…といいますか、適当にネット上で拾い読みした情報では
正史には孫権が「赤髯」であるとの記述があり、羅貫中の時代にはすでに異国の人が
中華にも入ってきていて、赤髯で碧眼という異国の人を羅貫中も知っていた…
そこで「孫権は赤髯である→赤髯といえば異人であり、青い目をしている」という
連想から演義の孫権は碧眼に書かれたのではないか…という説が唱えられて
いました。
この説の真偽は分かりませんが、悪意を持って碧眼にされたという可能性も
ありそうですね。羅貫中時代の中国で、碧眼紫髯の容貌が良い物と思われては
いなかったのか。碧眼の異国人に対しては、どのように評価されていたのか
などを調べて行けば、分かって来るかもしれません。
調べるのは難しそうですが、考察の価値が多いに有りそうです。
それから前の話題の話になるのですが、『呉・三国志』は呉をメインとしていると
いうことで、このタイトルが付けられたようで、魏や蜀が続けて刊行されるのでは
ありません^^;作者の方は『長江燃ゆ』というタイトルにしたかったものの、
タイトルに『三国志』と入っていないと売れないから…という編集側の意向で
『呉・三国志』とされたとの話を聞きました。
孫権が中原や天下統一に興味がなかったかどうかは分かりませんが、
孫権関連のエピソードには、戦場での活躍などは余り無く、どちらかと言えば
日常生活での話や政に関する物が多いです。ですから、歴史の全体的な流れや
戦争の話がメインとなる歴史小説には、それらのエピソードが組み込みにくい
のかもしれませんね。呉三国志でも、主要な戦いの話になると、呂蒙や陸遜などが
話のメインとして書かれていますから。
ちなみに私は『江東の暁』は、ばっちり持っています(汗)
お気に入りの三国志作品の一つです(^^A゙
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