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▼如墨委面さん:
細かい点で補足をば。
>「章」は、文頭を字下げし、文末に「稽首」と記す。皇帝の恩恵に感謝し、意見を述べるもので、宮中に参内して提出する。
>※「需頭」とは文頭を一字ないし二字下げることで、皇帝の裁可が必要な書類の場合に行われるものだそうです。
「需頭」は、福井先生の『独断』の注が
「簡の冒頭に一字または二字分の余白を設けること。」
と正確に表記していますように、つまり文頭1〜2字下げではなく、全行1〜2字下げになります。
文章中に「天子」「陛下」とか「太祖」といった皇帝に関する言葉を用いる場合には、改行してその言葉だけ下げずに書くので、文章全体を見たときに、皇帝関連用語だけが突出して見えるように配慮するものです。改行はけっこう大胆にする人もいますが、下に余白を残さないよう書くのも腕の見せ所です。
>「奏」もまた字下げする。その京師の官は文頭にただ「稽首」と記し、文末に「稽首以聞」と記す。
>もし罪法や弾劾の内容が公府に関するものであれば御史台に送り、公卿や公尉に関するものであれば、謁者台に送る。
>※ 京師の官でない場合はどうなるのか分かりません。上奏は京師の官だけしかできなかったのかも知れませんが、ちょっと納得がいきません。
地方から「奏」した場合の明確な史料が見つからず、推測になってしまいますが、『文選』収録の「表」など、「奏」以外の形式での事例から察しますに
「何年何月何日、どこそこの某官たる臣某が恐れ多くも陛下に上書いたします」
のような、何処から誰が提出したかの一文が必要なのではないかと思います。
>「表」は、字下げせず、文頭に「臣某言」と記し、文末に「臣某誠惶誠恐頓首頓首死罪死罪」と記し、左下に「某官臣某甲上」と付記する。
>文が長ければ(木簡を)編んで二行書きとし、文が短ければ五行書きとして尚書に提出する。
>公卿、校尉、諸將は姓を書かない。大夫以下で同名同官のものがあれば姓を書く。
>※ 長い場合は二行書きしかせず、短ければ五行書きするというのは、長い場合は木簡を編むにしても、ちょっと納得しにくいものがあります。
当時の木簡の基本サイズは縦23cm(当時の1尺。余談ながら皇帝用のみ1尺1寸)、横1cm、厚さ2〜3mmぐらいで、一行あたりの文字数はおよそ30〜40字です。両行用の木簡は横幅が2〜3cmとやや広くなり、つまり60〜80字書けるわけです。
さて『独断』の「策書」の項には
「百文に満たざれば策に書さず(百文字以下なら策書の形式にはしない)」
なんてのがありますが、策は二尺と一尺の両行の木簡を順番に何セットか編んでいく形式ですから、100字以下なら編まなくても書けるので、策にする必要がないわけです。
して、木簡にはさらに横幅の広い、6〜7cmサイズのものもありまして、中国の研究だと、通常サイズ及び両行を「簡」、幅広サイズを「牘」と使い分けているようです。
つまり「短ければ五行書きにする」とは、簡2本に収まる内容ならいちいち編まず牘に1枚で書く、ということかと思います。
ただまぁ『独断』はその名の通り蔡ヨウの「独断」によって書かれていて、漢の実体というより、蔡ヨウが理想とする制度のフシがあり、
そのうえ実際に蔡ヨウが提出した「戌邊上章」なる文章は
冒頭が「朔方(コン)鉗徒臣(ヨウ)、稽首再拜上書皇帝陛下。臣ヨウ〜」
文末が「臣頓首死罪稽首再拜以聞。」
と、どう見ても『独断』の規定する「章」の形式に合いません。
『独断』は残欠も多いようですし、この件では参考程度にしておくのが無難なようです。
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