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第2回三国志学会大会ノート2


  • 2007年9月 8日(土) 11:45 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,343
研究 1号館301号室の様子<目次>第2回三国志学会大会ノート(2007年7月29日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/679
<前回>第2回三国志学会大会ノート1
http://cte.main.jp/newsch/article.php/680

 1号館301号室へ移動。番号から想像できるよう3階にあり、エレベータ待ちで混んでいたんで清岡は階段で移動。
 そこの教室は想像以上に大きい教室で200名は軽く入る。急がなくて良かったな、と思いつつ、前から五列目ぐらいにど真ん中に陣取る。教室が広いもので固まって座るようなことはなく、左隣にしずかさん、その真後ろにUSHISUKEさん、その左へ順におりふさん、げんりゅうさん、KJさん。

○「関羽文献の本伝について」伊藤 晋太郎(慶応義塾大学講師)

 11時13分スタート。司会は中川先生。

●はじめに
 ※小タイトルはレジュメ通り。以下、同じ

 「関羽文献」(仮称)とは、北宋の時代ぐらいに関羽は神様として崇拝されており、元代以降、関羽に関する伝記や伝説、評論や詩などを収録した文献の総称。伊藤先生自身、まだこの名称に納得していないため「(仮称)」とのこと。関羽の伝記は「本伝」とする。実際、読んでみると文献ごとに内容に違いが見られる。本発表では本伝の内容について検討し、内容の違いを示し、内容の違いが生ずるに至った原因について考える。
 (『関帝文献匯編』という全10冊のセットが売っていて、そこに収録されている文献がレジュメに書かれており、そのうち、どれを使うかを説明)7『関壮繆侯時迹』については年表形式なので今回対象としない。

●一、対象とする「関羽文献」

 (レジュメにタイトル、巻数、著者名、初刻年などの情報が載せられている)
 A『漢前将軍関公祠志』(1603)、B『関聖帝君聖蹟図師全集』(1693)、C『関聖陵廟紀略』(1701)、D『聖蹟図誌』(1733)、E『関帝志』(1756)、F『関帝事跡徴信編』(1774)、G『関帝全書』(1858)
 これらの序文には著者(編者)のスタンスが見える(レジュメに引用)。ABEFGはそれより前に出た文献の誤りを正しているんだというスタンス(→本伝に反映)。

●二、「関羽文献」の「本伝」の内容
 いくつかの項目をあげその内容について『三国志』蜀書関羽伝との違いに留意しながら検討。
●1. 呼称
 (レジュメに列に『三国志』蜀書関羽伝、ABCDEFGの8文献、行に関羽の諱、文中の呼称、劉備、張飛、張飛の字、諸葛亮の手紙の6項目の表が書かれいる)
 Aは『三国志』蜀書関羽伝と文中の呼称(羽→公)以外はほぼ同じ。関羽の諱はBが空白、Gが□(四角)。文中の呼称は文献によって帝だったり侯だったり。Aの初刻年ではまだ関羽が帝になっていないので(敬称としての)公。劉備は先主が多い。CEは昭烈、Gは先帝。張飛は大体、張飛だがDとGとでは張侯。諸葛亮の手紙はほとんど髯だがDは髯公。
●2. 出身地と[シ豕]郡にいたる過程
 (レジュメに『三国志』蜀書関羽伝、ABCDEFGの冒頭部分が列挙されている)
 『三国志』蜀書関羽伝の「亡命」がABCDEFGでは「避地」に変わっている。『漢語大詞典』よりそれぞれの意味をあたり、亡命→逃亡する、避地→やむなく土地を出る。
 出身地は『三国志』蜀書関羽伝の「河東解人」に対しBGは「河東解梁寶池里下馮村人」になっている。解県は春秋時代、解梁城と呼ばれていた。唐の時代の董[イ廷]の文章では「河東解梁人」。『三国演義』では「解良」となっているがこれも「解梁」のことであろう。
 「寶池里下馮村人」について。BGがともに収録している聖蹟図(レジュメの別紙にBの聖蹟図のコピーがある。顔良を斬った後の場面で右に絵、左に説明文がある)では「解梁常平村寶池里五甲」。この聖蹟図は王朱旦(解州知州)「漢前将軍壮繆侯関聖帝君祖墓碑記」に基づく。「常平村」「下馮村」の違いはあるが地方志である『旧平陽府志』には「常平下馮邨(=村)、即侯故居、今建廟」とあるので同一の場所。
→王朱旦「漢前将軍壮繆侯関聖帝君祖墓碑記」について。1678年に夢のお告げにより関羽の父の旧居の井戸から発見された巨甎(大きな煉瓦)に記された文字から、関羽の祖父(名審字問之号石磐)や父の名(名毅字道遠)を知る。
 「避地」する原因がDに書かれてある。「漢前将軍壮繆侯関聖帝君祖墓碑記」にもBの聖蹟図にも書かれてある(→そのエピソードの解説)。このエピソードは他の文献や京劇にヴァリエーションが多々ある。
→『三国演義』(嘉靖本)の関羽の自己紹介に少し出てくるので、明代より前にこんな民間伝承があったのでは。
 関羽の外貌。Gにのみ詳しく書かれる。『三国演義』に近い描写だが、「臉有七痣」とホクロに関する描写がある。
→BDEに関羽の肖像があり、これにもホクロがある(レジュメの別紙にコピーがある)。Gの肖像画には何故かホクロがない。洪淑苓によると演劇の影響ではないか、とのこと。

<参考リンク>2006年1月29日 中国史人游行(神戸南京町・春節祭2006)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/275

●3. 車胄を斬る
 『三国志』には武帝紀と関羽伝に見える。劉備が曹操に反旗を翻したときに殺された徐州刺史が車胄。関羽が車胄を殺したとは書いてない。DGでは曹操が車胄に劉備を殺させようということを察知して関羽が計略を交え車胄を殺している。関羽が車胄を殺すという場面は『三国志平話』にもあるがそれ以外は『三国演義』の影響。
●4. 秉燭達旦
 『三国志』にはない話。発表では割愛
●5. 義釈曹操
 『三国志』にはない話。発表では割愛。3と同じくDGが『三国演義』の影響
●6. D『聖蹟図誌』のみに見える史実(史書の記載)と異なるエピソード
 レジュメで1から13まで挙げられている。12,13を除き『三国演義』の筋立てと基本的に一致。12,13は『三国演義』成立後に流布したような話の影響。
●7. エピソードの挿入位置
 エピソードが挿入された順番に関する違い。
 (1)孫権が蜀を取ろうとして劉備に阻まれる
  210年頃、劉備の入蜀直前(BDG) 215年単刀会前に過去を振り返る形(ACE)
※以下レジュメでは合わせて7項目のエピソードの挿入位置について文献を分類している。
 こういった感じでエピソードの挿入位置を比較してみておおざっぱにまとめてみると、
 グループIがACE、グループIIがBDGと分かれる。

●まとめ
 ACEの文献は比較のところであまり取りあげていない。これは比較的、歴史に忠実なため。序文で誤りを正すと書いている方針は史書に忠実であるといところを指す。グループIとFはいわば真面目な文献。関羽信仰に対し冷静な態度をとっている。
 グループII(BDG)の文献の特徴として1)関羽、劉備・張飛の呼称によって関羽を尊崇する気持ちを強く表し、2)王朱旦「漢前将軍壮繆侯関聖帝君祖墓碑記」に基づく聖蹟図を収録し、聖蹟図に基づく説を本伝に採用し、つまり出所が怪しい説を盲信し採用していて、3)『三国演義』を中心に演劇などを含めた俗文学の影響を多く受けている。
→これらの三つの文献も序文の中で先行文献の誤りを正すと書かれている。BDGの編纂者にとっては関羽のあらゆる説をなにもかも本伝に取り込むことが誤りを正す行為だったんだろう。関羽信仰の熱烈な信者。特にBの文献の序文では夢の中で関羽にこういう本を作れと命令されたと書かれている。そのあたり、いかがわしさがある。
 関羽文献というものはそういう方針から大きく二極分化していったのではないか。

(※清岡が思ったこと。グループIIの方針を聞いたとき、Wikipediaの三国志のところで出没する通称「ルーツ君」を連想し、笑い出すのを堪えていた)

 11時50分終了。

質問1
 Dの義で曹操を許すというところ(華容道のところ。曹操が「今日當踐三舎之言。」というところ)は『三国演義』の影響とのことだったが、雑劇なんかでこういったことを言うところがあったと思うが、主に『三国演義』の影響か、もっと通俗的なものの影響なのか。(※清岡注。長くて殆ど聞き取れなかった)
回答
 華容道の場面で春秋を出すところは『三国演義』の影響。大枠としては『三国演義』の影響。

質問2
 関羽の外貌の成立について、荊州の関羽について(※清岡注、報告に関係ない長い質問で清岡の頭に入らなかった)
回答
 元の時代では既に関羽の外貌の徴候があった(白黒ながら)。(一例として)赤い顔というのは忠義の色と言われている。また日焼けの赤で、農民の色、関羽が庶民にとって身近であることを表す意味という説も。関羽の容貌が劉淵の容貌に準じている話(大塚秀高先生の説)
 (※清岡注 この後、荊州の関羽について懇切丁寧な説明があるも、質問の段階で理解できなかったので清岡の頭に入らず。最後に、インターネット上のコラム参照とのこと。下記リンク先)

<参照リンク>(中国情報局のコラム)「名場面と人物で見る三国志」完結
http://cte.main.jp/newsch/article.php/594

※追記 メモ2:三国志フェス2013(2013年9月28日)

 12時2分終了

 事務局長(渡邉義浩先生)からの予定変更のご案内。
 午前の部は「建安文学における香りについて」までで、そこから昼休みというスケジュールに変更。あと昨日と同じく冷たいお水を用意している旨、一階下の201号室に書店が来ている旨、この建物の地下に食堂がある旨、今から10分ほど休憩がある旨のアナウンスがあった。

 舞台の向かって右にご自由に取れる研究紀要が置いてある本棚があって休憩終了前にそれを持って帰ってくれというアナウンスがあって多くの人(おそらく一般の人がほとんど)が本棚に群がっていったんだけど、その群衆の中に福原先生が混じって物色していたのは妙にユーモラスな光景だった。


<次回>第2回三国志学会大会ノート3
http://cte.main.jp/newsch/article.php/684

『真・三國無双5』(PS3/Xbox360版)11月11日発売決定


  • 2007年9月 7日(金) 18:29 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,823
ゲーム <10月10日追記>
公式サイトによると『真・三國無双5』 (PS3/Xbox360版)2007年11月11日発売決定とのこと。
あと「真・三國無双5 with PLAYSTATION3(40GB/セラミック・ホワイト)」 同時発売決定だって。新型廉価版「プレイステーション3(PS3)」の同梱商品とのことだから覚悟していたよりは安い。

というわけでこのタイトルも変更。

通常版 7200円 TREASURE BOX 12800円
「真・三國無双5 with PLAYSTATION3(40GB/セラミック・ホワイト)」 47600円
<10月19日追記>
『真・三國無双5 オリジナル・サウンドトラック』が2007年12月5日に発売とのこと
<追記終了>



9月7日に「GAMECITY」(コーエー総合ポータルサイト)(下記サイト)にて『真・三國無双5』(PS3/Xbox360版)が2007年11月発売決定ということが告知される。7200円(税抜)。TREASURE BOXが12800円(税抜)。

・GAMECITY  (コーエー総合ポータルサイト)
http://www.gamecity.ne.jp/
・真・三國無双5
http://www.gamecity.ne.jp/smusou5/

あと『真・三國無双5』の公式サイトもリニューアルされていて「Character」のところで登場人物が少し公開されている。魏が典韋、呉が孫尚香、蜀が関羽、それぞれにスクリーンショットあり。孫尚香の武器が弓になっていたり、劉備が髭なしになっていたり、あれこれデザインが変更されていることが伺える。「Screenshot」と「Movie」はそのまま引き継ぎ。これからの更新が楽しみ。
<追記>
9/14 Characterに陸遜、趙雲、Actionに連舞システム
10/5 Battlefieldに拠点、攻城戦、その他の戦場要塞、Modeに6つのモード、無双モード、Characterに夏侯惇、周瑜、張飛、MovieにTGS Movie(東京ゲームショウ?)
しかし夏侯惇は金棒で周瑜は棒か。というかより拠点ぽくなっていてビックリ。
TGS Movieは流出していた画像元だね。いろんなキャラが写っている。
10/19 Characterに司馬懿、System更新
10/26
Modeに「フリーモード」「チャレンジモード」「幕舎」「事典」
Characterに「呂布」「貂蝉」
10/30 MovieにPROMOTION MOVIE Vol.2
11/2 MovieにCF Movie(Xbox 360 Version)
11/7 MovieにCF Movie(PLAYSTATION 3 Version)、Actionに「基本アクション」と「その他アクション」
11/9 Wallpaperを追加
<追記終了>

<関連記事>『真・三國無双5』(PS3版) 今秋発売決定!
http://cte.main.jp/newsch/article.php/650

<次回>メモ:『真・三國無双5』で消えたキャラクター
http://cte.main.jp/newsch/article.php/735

『八卦の空』(ミステリーボニータ10月号、2007年9月6日)


  • 2007年9月 7日(金) 18:24 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,146
マンガ  中国三国時代の魏を舞台とし、紀玄龍や管公明のコンビが神秘的な事件を解決していく漫画、青木朋先生/著『八卦の空』。月刊『ミステリーボニータ』に連載中。
 今回は一話完結で予告通り巻頭カラー。未だに清岡は「巻頭カラー」の定義を掴みかねて居るんだけど、ともかく今号の『ミステリーボニータ』の一番前の漫画が『八卦の空』で、見開きの表紙を含めた4ページがカラーということだ。

※関連リンク
・秋田書店
http://www.akitashoten.co.jp/

・青木朋先生のサイト「青木朋HP++青青」
http://aoki.moo.jp/


・ミステリーボニータ10月号に「八卦の空」(ブログ『青青日記』)
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=785096

・青木朋さん(私設)ファンクラブ
http://bluefan.exblog.jp/

<前回>2007年8月6日『八卦の空』(ミステリーボニータ9月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/663

<次回>『八卦の空』(ミステリーボニータ11月号、2007年10月6日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/708


 カラー部分の冒頭から玄龍くんが兵卒を率いた捕り物シーン。のっけからテンション高めでストーリーに引き込まれる。赤い鮮やかな衣装を纏った女盗賊の紅月鬼を追い詰めるも、その場から瞬時に姿が消える。逃げられたから、捕り物が終わるんだけど、玄龍くんは消えた現場に鏡を見つける。実はそれは不思議な鏡でそこから話が始まる。姿が同じだけど、中身が違う蘇月娘、それから同じ魯女生の門下の妹弟子、君児などの人物が出てきて、話が進む。今回は劉朱姫ちゃんにスポットが当たったような物語の進み方で鏡にまつわるミステリーがほぐれていく。
 そういや今号の「ミステリーボニータ ホットライン」(つまり読者からのお便りコーナー)に「八卦の空」へのお便りあり。今回は二通もあって、一つが管ちゃんについて、もう一つが玄龍くんについて。編集サイド…じゃなくコーナーのマスコットがコメントを寄せているように是非、イメチェンで管ちゃん仕様の眉毛にして欲しいところ(笑)

第2回三国志学会大会ノート1


  • 2007年9月 6日(木) 20:46 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,975
研究 <目次>第2回三国志学会大会ノート(2007年7月29日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/679

 右隣でげんりゅうさんとしずかさんが中国史における降雪の表現みたいな話をしている。

 やはり去年と同じく、金銭の授受がある受付で混んでいる模様。そのため、少し遅れ10時4分スタート。
 駒沢大学の石井仁先生が司会。

○会長挨拶 三国志学会会長 狩野 直禎

 三国志学会の方針みたいなことに言及されていた。歴史だけじゃなく文学・思想などなど幅広い分野があり、また一般にも門戸を広げているってことなど。今回、発行された『三国志研究』2号についても。


○報告(午前10時10分~午後1時)

○「長沙走馬楼呉簡にみえる「限米」――孫呉政権初期の財政についての一考察」 谷口 建速(早稲田大学大学院文学研究科)

●長沙走馬楼呉簡について
 ※小タイトルはレジュメ通り。以下、同じ

 1996年に湖南省長沙市で出土した三国呉代の簡牘。公表されている簡牘の紀年は後漢中平二年(185年)-孫呉嘉禾六年(237年)。但し黄龍年間(229-231)、嘉禾年間(232-)に集中。主な内容は長沙郡ないし臨湘県(侯国)の簿籍・文書。総数は14万点以上。その中で図録本として刊行されているのは「嘉禾吏民田家莂」(以下、田家莂)と題される大型木簡2141枚、竹簡19636枚。

●はじめ

 走馬楼呉簡には倉庫関係の簡牘が多く含まれている
  →倉庫や出嚢や物資の流通など、当時の地方財政システムの理解に寄与する
 谷口先生の今までの研究
  穀倉関係簿の整理・分類の初歩的作業(出土した時点ではバラバラなので)
  地方倉における搬出や移送といった穀物財政の仕組み及び簿籍の作成過程等の検討
 伝世文献中に当時の税制に関する資料は乏しいため、これらの検討で新知見が得られる
  →簿籍簡牘に賦税などとして穀倉に入れられる穀物の名目の一つ「限米」について再検討(その性格を位置づける)
   →孫呉政権初期の穀物財政及び支配のあり方の一端を伺う。

●一、穀倉に収蔵される穀物名目の概観

 公表されている簡牘にもられる穀物名目の概観について。
 (1)田家莂とは納税者台帳であり、田地の面積と租税額、納税の確認などの情報が記されている(レジュメにはその一例の釈文と書き下しが掲載)
 (2)賦税総帳木牘とは納入穀物の総帳。ある期間内に納められた総計と内訳が記される(レジュメにはその一例の釈文が掲載。所々、太字下線部になっていてどこが内訳を示しているかわかりやすくなっている)
 (3)穀倉関係簿(竹簡)。穀物納入の証明書(莂)を編綴して簿としたもの(莂簿)、一ヶ月・三ヶ月ごとの出納帳(それぞれ「月旦簿」、「四時簿」)など。
 →レジュメの別紙に上記の簡牘の写真があり、その紹介。

 続いてレジュメに「走馬楼呉簡中に見える穀物収入名目」がリストアップされている。分類としてa「税米」・「租米」(上記の(1)(2)(3)より)、b「限米」( (2)(3)より)、c官有物売却の代価としての米( (3)より)、d貸与返還米( (3)より)、e折咸米( (3)より)
 「○米」の丘に「禾(アワ)」「粢(キビ)」「麦(大麦)」「豆(大豆)」なども見える。そのため「米」はイネのことと思われる。

先行研究に基づき簡単に分類
 上記aは「田家莂」におると「吏民」(※吏と民以外にも卒なども含む総称)の田に課される米。米の他に布・銭も課されていて、それぞれを米で代納したのが「田畝布米」「田畝銭米」
  →一般吏民に課せられた賦税と考えられる。
 cは塩などの官有物を売却し、代価として得た穀物収入。「鹽(賈)米」
 dは穀倉から貸与されていた穀物を民が返還したもの。「民還貸食米」。新規の収入ではない。帳簿上、他と区別。
 eは輸送の過程などで失われた穀物を後日補填したもの。d同様、新規の収入ではない。
 bの諸「限米」は身分呼称が冠されるのが特徴(例「衛士限米」)。
  三説ある。1)国家の「正戸」でない者に課された米。最初に言われた説。「田家莂]」に記載されているのが「正戸」という理解に基づく。
   2)屯田従事者が納入する米(「屯田限米」という記載があるから)。
   3)「屯田限米」は屯田に関わる地租で、その他の身分は王族などの依附民が納めた地租

 この三説に対するポイント
 ・「屯田限米」以外の「限米」も全て屯田に関係すると考えるか否か
 ・“「正戸」でない”、“依附民”などとされる「限米」納入身分者が名籍中にどうみえるか
 →これを再検討(先行研究があるものはレジュメの後で提示)

●二、「限米」の納入状況と田

 『三国志』にも「限米」の記述があるが、まず走馬楼呉簡でどう見えるか。

●a.「限米」の納入状況
・「税米」・「租米」の納入事例(レジュメに釈文の数例)
 ここでレジュメ別紙の写真3)を使って解説。簡の上から三分の一のところに横線が引かれてあって、これは納入された時に付けられる印。二行に渡って付けられる印で片方を穀倉側、もう片方を納入した者が側に渡されるそうな(写真は穀倉側の方。つまり印に納入証明の意味がある)。この印以外にも下から三分の一に著名があってそれも両側に分かれている。
 →元々は納入の証明書として作成されたが、後で帳簿の形に編綴される。
   →編綴の仕方は各郷ごと。
・「限米」の納入事例(レジュメに釈文の数例かある)。
 ・「限米」の簡は「税米」・「租米」と書式が同じ。簡番号も近い。
  ※ここで簡番号の意味の説明。井戸から簡のいくつもの塊として発掘された。その塊ごとに番号を付ける。簡番号が近いということは同じ塊に入っており、同じような帳簿に入っていたと想定される。
  →「税米」「租米」「限米」の簡は同一簿にまとめられたと考えられる。
   →ここから収入としての性格の近さが伺える(逆に「鹽米」の簡は書式が異なる)
    ・「民還貸食米」は簡番号が特定の部分に集中しており独立の簿として編綴
    ・傍証として「税米」「租米」「限米」をまとめた表現(「税租限米」)がある
 ・納入簡のはじめに郷名が記され、簿に編綴される際も郷ごとにまとめられ、
  「税米」「租米」「限米」も郷に関する収入
  →「限米」の納入者が郷に所属or「限米」を課せられた田が郷に所属
  →「限米」納入者と「税米」「租米」納入者が同一区画(郷)内に散居。

●b.「限米」に課される田
 (レジュメに釈文の例とそれらの書き下し)「~郵卒田~畝々収限米二斛~」
  「~衛士田~畝々収限米二斛~」「~佃卒田~畝々収限米二斛~」
→ある領域内に存在する特定の田(郵卒田)の面積と、そこから徴収される穀物の総数の記録
 ・「郵卒田」「佃卒・衛士田」など納入者の身分呼称を関する田に「限米」が課される
  →「郵卒田」から徴収されたのが「郵卒限米」
 ・「限米」は田1畝ごとに2斛が徴収された
  →「田家莂」によると
    「税米」は1畝ごとに1斛2斗、「租米」は1畝ごとに4斗5升6合(嘉禾四年)
      →「限米」の方が高額なので屯田説の根拠の一つとなっている。

※10時47分。ここで司会の石井先生から講演者に紙が渡されたんだけど、時間、おしているのかな?

・「民田」に関して(レジュメに釈文の一例とその書き下し)
 「民田」全他の面積と徴収額を知るし、「民税田」と「民火種田」の内訳を記す構成。
 書式が「限米」の簡と同じで簡番号も近い。簡の性格が似ている。
 ・「民」は「吏」「卒」に対応する語。「郵卒」と同じく身分の表現
  →「限米」を課される「郵卒田」「佃卒田」「衛士田」
    と「税米」等を課される「民田」と対応関係
   ※孫呉政権では身分ごとに田地を把握。

 ・「租税雑限田」の表記について
  「雑限田」は上記の「郵卒田」「佃卒田」などの総称か
  →ここからも「限田」と「税田」「租田」の近さが伺える
   両者の違いは「屯田←→一般の田」という根本的な違いではなく、
   あくまで田に携わる者の身分の違いと考えられる。

・まとめ
 (1)「限米」に関連してみえる身分は「税米」「租米」納入者の身分と概ね重複しない
 (2)「限米」は「税米」「租米」と書式が同じで収入としての性格が近い
 (3)「限米」は郷に関わる収入。
   「限米」納入者は「税米」「租米」納入者と同様、郷に所属
 (4)「限米」を課される「限田」と
   「税米」「租米」を課される「税田」「租田」「民田」は並列的な位置。
 →「限米」は「税米」「租米」と同性格の賦税目であり、
  「郵卒」「子弟」など特殊身分の者に課せられたと推測。
  →「限米」に関する身分は、専門業務に携わる(「郵卒」)、
   新たに戸籍につけられた(「還民」)、など何らかの形で優遇されてい可能性が高い
    但し、1畝当たりの徴収額の高いことが疑問点
  →走馬楼呉簡中に裏付ける資料はないが、田に布・銭が課されない、
   他の税役面で優遇されている可能性がある。

●c.文献資料に見える「限米」。
 『三国志』呉書孫休伝永安元年(258年)条(その書き下し)がレジュメに引用されている
 第三代皇帝孫休が即位直後に発布したもの。
 諸吏の家で5人の男手のうち3人が役に就くケースがあって、「限米」を供出しなければならないという資料内容。
 →諸吏の家に「限米」が課せられていたことが分かる。

※ここらへん時間が押しているとのことでレジュメの記載より端折った解説

・孫呉政権では、一般吏民の家の田に課す「税米」「租米」の他、特殊な業務に従事する者及び吏の家の田に「限米」を課していた」
 →吏や特殊身分に対する特別な課税方法が制度化。
  「限米」の最も古い紀年は「黄武五年(226年)」であり孫呉政権の最初期から。

●三、郷・里の名籍中に見える「限米」納入身分
「限米」を課せられた身分のうち一部は、名籍中にもみえる(例がレジュメに引用)
→「給田帥」「給子弟」「給習射」「給私學」も「民」が当該身分の役目に従事したことを意味するか。これらの各身分も吏民と同様、郷・里の名籍に登録されていることを確認。
→ここから「限米」納入者が正戸の者でないとか王族などの依附民であるとは言えなくなってくる。
 「給子弟佃客」「給習射及限佃客」に見えるように一部の「限田」については「佃客」が耕作している。
・「限佃客」の名籍が見られる。

・最後に「永安元年詔」に関連し、走馬楼呉簡当時の吏の家の実態を伺う。
 「永安元年詔」に関連するような文書木牘(嘉禾四年八月廿六日、州吏三人家族二十三人の調査記録)の釈文とその書き下しがレジュメに引用されている
 1人が「限佃(限田耕作に従事する意か)」とある。
  →全ての“吏の家”に「限米」が課せられている状況を伺わせる「永安元年詔」と
   齟齬するようにも考えられるが、その他の家族の内訳を見ると
    (1)何らかの疾病を有する、(2)幼少、(3)既に吏役に就いている、ことが分かる。
→疾病や幼少であることを理由に「限佃」を免れていた可能性
・「永安元年詔」からは「限米」が“吏の家”にとって重い負担とも読みとれるが、本木牘からも“吏の家”の厳しい状況が伺える

●おわりに
 レジュメに「限米」のまとめが書かれている(報告中では触れるだけで読まれていない)

 10時54分終了。

 司会の石井先生から報告についてと、あと時間が押しているので手短で報告内容に関わる質問を促される。

質問1
「税米」「租米」との違いについて研究はされているのか。
回答
「田家莂」の研究で詳細な研究がある。「税米」「租米」に関わる田について違う(徴収額が違う)。具体的な田の性格についてはいくつか説がある。

質問2 早稲田大学の渡辺さん
(漢代では衛士は毎年派遣される中央政府の宮殿の兵士?※聞き取れず)衛士は兵士と考えられるのか? 「税米」「租米」に衛士は出てくるのか?
回答
「衛士」については研究されているものはない。「衛士」は○○(※聞き取れず)に派遣されたものではないか。

11時3分終了

 ここで事務局からのお願いということで会場を3号館114号室から1号館301号室に移ってくれとのこと。
 というのもよく見ると後の方でパイプ椅子が出されるぐらいなのにそれでも観客が入り切れていないので、さらに大きな会場に移動するということだ。学術系のイベントで観客150名オーバーってのは素晴らしいね。
 というわけでどういう大きさの会場か清岡は知らないので席が取れなかったら大変とばかりに急ぎ移動する。

<次回>第2回三国志学会大会ノート2
http://cte.main.jp/newsch/article.php/683

※追記 メモ:海外中国史研討会関連

※追記 曹操墓の真相(2011年9月)

第2回三国志学会大会ノート(2007年7月29日)


  • 2007年9月 5日(水) 12:14 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,369
研究 開演10分前の会場の様子・三国志学会
http://www.daito.ac.jp/sangoku/

 上記のリンク先のように今年も三国志学会大会が開催されるということで、泊まりがけで東京入りしていたため、第2回三国志学会大会の2007年7月29日は前日と同じく清岡は大塚駅近くのホテルから、大塚駅-(山手線)→池袋駅-(東武東上線)→東武練馬駅という乗換で、さらに駅近くの大東文化会館から無料のスクールバスで、大東文化大学板橋校舎へ向かう。スーツ姿をまとった状態で朝食は車内でコンビニおにぎりを食す(汗)
 途中、同じく関西から来られている、しずかさんと合流し、いざ三国志学会大会の会場へ。昨日の第3回三国志シンポジウムと同じく大東文化大学板橋校舎の3号館114号室。受付で学会の年会費と懇親会のお金を払って『三国志研究』第2号とできてる分のレジュメを貰い、いざ会場へ。
 昨日と同じく五列目のど真ん中に陣取る。右にしずかさんで、しばらくすると、左にKJさん、一つ後列の右から玄鳳さん、その後輩、げんりゅうさん、おりふさん、USHISUKEさんと居並び、離れたところにはSuさんと三口宗さんがいらっしゃる。

 それで今回の内容を以下に引用。雑感を書いたら、各々にリンクを張る予定。

--引用開始---------------------------------------------------------
プログラム

会長挨拶

  三国志学会会長 狩野 直禎

報告(午前10時10分~午後1時)

 谷口 建速(早稲田大学大学院文学研究科)
 「長沙走馬楼呉簡にみえる「限米」――孫呉政権初期の財政についての一考察」

 伊藤 晋太郎(慶応義塾大学講師)
 「関羽文献の本伝について」

 休憩

 狩野 雄(相模女子大学准教授)
 「建安文学における香りについて」

お昼休み

 松本 浩一(筑波大学教授)
 「台湾における関帝信仰の諸相」

講演(午後2時~午後4時)

 李殷奉(韓国仁川大学国語国文科講師),通訳 金文京(京都大学人文科学研究所所長)
 「韓国における三国志演義の受容と研究」

 林田 愼之助(神戸女子大学名誉教授)
 「私の中の三国志」

懇親会(午後6時~)
 参加費:2000円
 会場:グリーンスポット
(大東文化大学板橋校舎内)
--引用終了---------------------------------------------------------

※関連記事
・2006年7月30日「三国志学会 第一回大会」ノート
http://cte.main.jp/newsch/article.php/395

・三国志学会第二回大会のプログラム発表
http://cte.main.jp/newsch/article.php/636

※追記 三国志学会 第三回大会プログラム発表

※追記 三国志学会 第四回大会ノート(2009年9月5日)


<前日>便乗プチオフ会(2007年7月28日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/678


<次回>第2回三国志学会大会ノート1
http://cte.main.jp/newsch/article.php/680