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掲示板 件名 最新投稿

2006年9月29日「幻想三国誌II」発売(ファルコム、ファンタジースペクタクルRPG)


  • 2006年10月18日(水) 18:12 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,979
ゲーム  というわけで後追いながら告知。2006年9月29日に「幻想三国誌II」というゲームが発売された。ジャンルはファンタジースペクタクルRPGとのこと。ちなみに二年前の前作も三国志ニュースでは後追いだった(汗)

・ファルコム公式サイト
http://www.falcom.co.jp/
・幻想三国誌2
http://www.falcom.co.jp/fs2/index.html

・2004年9月29日「幻想三国誌」発売(ファンタジーRPG、ファルコム)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/9

対応OSは前作と同じくOSはWindows98/Me/2000/XP。
公式サイトの「時代背景」をみると結構、「三国志」的要素を入れているようだね。
公式サイトの「サブキャラクター」で現在、取り上げられている三国志関連人物は(※メインキャラクターはオリジナルのキャラクター)、
馬超、献帝、曹操、郭嘉、劉備、呂布、孫策、周瑜、袁紹、袁術、袁煕
となる。

「イベント報告」カテゴリーを分割


  • 2006年10月18日(水) 18:10 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,780
ネット すっかり報告し忘れだけど、数ヶ月前に「イベント報告」カテゴリーの件数が多くなったので、「イベント報告」と「講演報告」に分割した。後者は学術系イベントの報告ってこと。サイト情報の件数が多くなってきたので、次はこちらをわけるかも。
現状のカテゴリー別の記事の件数は以下の通り。

サイト情報 (50)
サイト企画 (16)
サイト宣伝 (9)
ブログ (18)
コミュニティ話題 (8)
文献史料 (13)
出土史料 (21)
場所 (14)
小説 (9)
読み物 (14)
マンガ全般 (20)
マンガ連載系 (34)
ゲーム (32)
フィギュア (4)
番組 (7)
同人 (26)
世間の中の三国志 (21)
その他メディア (22)
イベント告知 (29)
イベント報告 (35)
講演報告 (23)
依頼・募集 (3)
その他 (6)
管理系 (12)


・参考:「イベント」カテゴリーを分割
http://cte.main.jp/newsch/article.php/314

※追記 管理系:話題(記事のカテゴリ)を変更

徳島城博物館の特別展「美術の中の三国志」


展覧会 このたび徳島市立徳島城博物館で、特別展「美術の中の三国志」を開催いたします。みなさまのご来館を心よりお待ち申しあげております。

会 期  2006年10月21日(土)~2006年11月26日(日)
趣 旨
江戸時代中期の『通俗三国志』翻訳刊行以来、「三国志」は日本においても広く親しまれるようになりました。それとともに、芸術や文化に広く影響を及ぼすようになります。
たとえば与謝蕪村、谷文晁、葛飾北斎、歌川国芳など、近世美術の巨匠たちによって「三国志」に主題を求めた絵画作品が多数描かれるようになります。あるいは端午の節供に飾られる人形や幟旗など造形美術の分野にもその影響が見られるようになります。
この展覧会ではさまざまな美術作品を通じて、近世日本の人々に親しまれてきた三国志とその文化について考えていきたいと思います。

会期中休館日    毎週月曜日・11月24日(11月23日は開館)
観覧料金      大人500円、高校・大学生300円、中学生以下無料
開館時間      9:30~17:00(入館は16:30まで)
会 場       徳島市立徳島城博物館
          〒770‐0851 徳島市徳島町城内1-8
          電話088-656-2525
後 援       徳島新聞社・四国放送・NHK徳島放送局
助 成       芸術文化振興基金助成事業
   

関連イベント情報

◇展示解説
日時:11月4日(土)・11月18日(土) 13:30~

◇「三国志」ハイクラス特別講座
第1回 10月28日(土)13:30~15:00
 「英雄たちの風貌―三国志の人物像」
 講師:葭森健介氏(徳島大学 教授)
第2回 10月29日(日)13:30~15:00
 「美術の中の三国志―日本における受容」
 講師:小川裕久(徳島城博物館 学芸員)
第3回 11月25日(土)13:30~15:00
 「神様になった三国志の英雄たち」
 講師:高橋晋一氏(徳島大学 助教授)
※参加には事前の申し込みが必要となります。
 受講料1,000円(入館料は不要)。

◇切り絵で愉しむ三国志
 日時:11月11日(日)13:30~15:30
 講師:東 育夫氏(徳島市教育委員会)
※受講料は無料(ただし入館料は必要)

◇三国志トリビア・クイズ
 日時:11月23日(木・祝) 9:30~16:00受付
 三国志クイズ〈初級編〉〈上級編〉を楽しみましょう。
 先着100名様に、参加賞をプレゼント。
 成績上位者には、三国志グッズと賞状をお渡しします。
※参加費は無料(ただし入館料は必要)

「長沙呉簡の世界」ノート3


  • 2006年10月15日(日) 13:58 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,672
研究

・「長沙呉簡の世界」ノート2からの続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/425

○報告III(11:50~12:25):町田隆吉(桜美林大学)「長沙呉簡よりみた戸について-三国呉の家族構成に関する初歩的考察-」

 11時54分スタート。予稿集7ページ、レジュメ12ページ、共にA4サイズ。
 本報告は長沙市文物考古研究所・中国文物研究所・北京大学歴史学系走馬楼簡牘整理組編『長沙走馬楼三国呉簡』竹簡〔壹〕(上、中、下)(文物出版社、2003)から伊藤敏雄先生が中心となってつくったデータベースをもとにした研究について。

1. はじめに
※この数字付きの小タイトルは予稿集の写し、以下同じ。

 『漢書』食貨志に「五口之家」という記述。中国古代の農民の家族というのは五人家族。では具体的な家族はどうだったか?
 しかしながら、走馬楼の呉簡にはたくさんの名籍(竹簡)が含まれている。竹簡は編綴の紐が腐食してバラバラになっており、それを可能な限り元に戻すことで、三国呉の農民の「戸」が再現できる安部聡一郎さんの研究(「長沙呉簡にみえる名籍の初歩的検討」(『長沙呉簡研究報告』第2集、2004)など)や關尾史郎さんの研究など先行する研究を踏まえ、名籍の表記、竹簡の簡番号(出土時の位置関係)、竹簡の形状(編綴痕の位置)、書体などからより確度の高い復元を試みた。こういう「戸」の復元に基づき、三国呉の農民の家族構成を視覚的に示し、家族構成の特徴を考察。

2. 長沙呉簡名籍の検討

 いくつかの時代が混ざっている。レジュメ1ページ末の胡禮という人物を例に。六年の開きがある。「師佐籍」「烝嚢」の場合、時期が同じという例。

(1)名籍にみえる「戸」と「家」
※この括弧数字付きの小タイトルは予稿集の写し、以下同じ。

 「戸」や「家」はどういう意味か。「夏隆」という人物を例に。
 民籍では冒頭の「戸人」に「戸」を代表(→「…戸人公乘夏隆…」)。集計簡の「家」の字に「戸人」の名を冠し、その下に家に居住する人数(「口」)と資産評価額(「[此/言]」)を記す(→「右隆家口食九人 [此/言] 一 百」)。つまり「戸」とは「戸人」某に代表される「家」であり、そして「同居」と観念される。
※清岡注。予稿集やレジュメに出ているのは復元後の釈文。例えばこの「夏隆」の例だと一行が一つの竹簡に対応していて、左横に「9090/9165/9213/9217…」など簡番号が打たれている。「口食九人」となっていて、実際、9人の一人一人の竹簡に書かれた個人情報があるが、うち3人は見つからなかったとのこと。
 この名籍に多様な親族姻族が含まれていて、その続柄をこれから紹介。続柄の表記は必ずしも統一されていないとのこと。予稿集に続柄の多くの例が整理され書かれている。ここで気をつけないといけないのは「妻」が名前の場合があるんで単に検索しただけでは駄目。

(2)名籍の書式

 名籍では冒頭に「戸人」の名、そのあとの家族の部分では妻や最初の子どもを除くとそれ以降「戸人」の続柄ではなく直前の記載者の関係を示す書式(※清岡注 例えば先の「夏隆」の例だと「9165 隆子男帛年十一」「9213 帛男弟燥年八歳」「9217 燥男弟得年六歳」 )。これと同じ書式は紙形式(敦煌発見の「西涼建初12年(416年)正月籍」(紙)、楼蘭発見の「晋[4世紀?]楼蘭戸口簿稿」(紙))にも継承されている。池田温先生によると、こうした書式の前提には木簡名籍の存在を想定。簡がバラバラになったり順序が前後しても原型に復しやすいようにするためと推測。長沙呉簡はそういう推測を裏付ける。では言葉の使い方は前後の史料でどうなっているか?→レジュメ2~3ページ
 例えば、前漢景帝2年(BC155)では「戸人」、前漢永光4年(BC40)では「子少女」(子○○)、後漢建寧4年(171)では戸人、子○○。後漢光和6年(183)では「女替、替弟建、建弟顔、顔女弟」。晋[4世紀?]楼蘭戸口簿稿では前の行のを受ける形式で「息男奴□…」「□男弟□得…」「得□□阿罔…」。4ページの「西涼建初12年(416年)正月籍」でも同じだが、西魏大統13年ではそういう書式が消え戸人との続柄になる。プリントでは表にまとめてある。(その表を見ながら)走馬楼までは「戸人」、晋楼蘭と西涼建初は書いてない。西魏大統では「戸主」。子どもに関しては走馬楼までは「子男/子女」等、晋楼蘭からは「息男」等。

(3)名籍にみえる戸人と戸数・口数

 戸人に関して年齢別、男女別に統計をとったものがレジュメの5ページに記されている。表1 長沙呉簡の名籍中の戸人の年齢分布(総数406人) 男子391人、女子15人。最年少の戸人(男)13歳(漢籍番号2951)大女33歳、最年長85歳老女81歳。
 さらに次の表では口数の分布。表2 長沙呉簡名籍にみえる口数と戸(477戸) 中心は口数が5人よりやや少ないところにくるとのこと。ちなみに『太平広記』に基づく唐代庶民層の家族規模3.9人に近い。

3. 戸(同居家内集団)に対する初歩的考察

 復元した戸に基づいた図式化の話。予稿集では3ページに渡り6例、レジュメの方には9例あり、それぞれ釈文(簡番号あり)と家系図のような家族関係を図示したものがある。この図示は戸人簡がなくても残存したものから推測したものを含んでいる。
 まず予稿集。単純家族世帯、拡大家族世帯、拡大家族世帯(戸人簡なし)、多核家族世帯の例について説明していき、それから非家族世帯、兄弟の同居+その他の親族[叔父、従小父、従兄]の同居の例、非家族世帯、兄弟の同居+その他の親族[寡婦と子ども]の同居の例
 他の時代との比較。例えば西涼建初12年(416)籍。レジュメの9ページに記載。そうするととりわけ妻の親族や兄弟の寡婦およびその子を含んでいる世帯の存在などは他の時代の戸籍にはほとんどみられず、呉簡名籍の特徴がわかる。孫呉政権には相互扶助的な機能を有する世帯を前提とした戸口編成をおこなっていたようにみえる。
 ここでレジュメ8ページへ。「三国時代の呉地域や越族特有の女系を含む家族形態が名籍に反映されている可能性」【小林 2005】 後漢時代長沙郡における嬰児殺し(『北堂書鈔』巻75謝承『後漢書』) 長沙太守となった宗慶という人物は民が子を殺すことを禁止し、年間で子を養う人は三千人あまりとなって、その年、男女はみな、宗を名とした。ここで注目するのは、この土地の人口に対する耕地の狭さ(嬰児殺し)→相続における耕地の細分化を回避する必要性(つまりそれが拡大家族世帯、多核家族世帯、非家族世帯の多さに関わる?)。後漢豪族の同族内の相互扶助の例。後漢崔寔『四民月令』9月令。

4. むすびにかえて

 民籍の他に師佐籍がある。レジュメ8ページに師佐籍の例があり、それはみかけは1つの単純家族世帯で実体は2つの単純家族世帯(同居していない)。レジュメで資料をつけたのは、唐西州戸籍・手実 こういった時代の比較も重要。

 12時30分終了。

 時間がおしているので、午後は13時40分スタートとのアナウンス。


○昼食・休憩(12:25~13:30)

 予稿集やレジュメとともに「日曜日に営業している食堂」というB5一枚のプリントも配られていて、それを元にどこか行こうと思ったけど、結局、そこには載っていなかった近くの喫茶店で食事した。



・「長沙呉簡の世界」ノート4へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/448
 

長沙呉簡研究会


  • 2006年10月12日(木) 19:09 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,941
研究  1996年に長沙市の走馬楼から十数万枚も三国時代・呉の簡牘が発見された。あまりにも大量のため十年目の今日でも整理がついていない状況であるし、史書のようにまとまったものでもないが、当時の「生」の情報が得られるということで私のような素人目に見ても当然、その資料的価値は非常に高い。
 と、この簡牘の内容が多岐に渡っていて、全然知らない人向けへの文を書けそうにないので、下記のリンクを参考にされたし。

・睡人亭
http://www.shuiren.org/
・走馬楼呉簡
http://www.shuiren.org/sangoku/chikkan.htm
※「三国志の頁」内にあるんで一般の三国志ファンに分かりやすく書かれていておすすめ

 この簡牘に関する研究会が日本でも1999年9月に発足されており、その研究会のサイトは下記にあるので、詳しくはそちらで。

・長沙呉簡研究会
http://h0402.human.niigata-u.ac.jp/prof/research/chosa.htm

 このサイトには長沙呉簡研究会の過去の発行物および活動の紹介以外に、「長沙走馬楼呉簡一覧・統計表」や「長沙東牌楼漢簡一覧表」がある。
 前者は過去の論稿からの抜粋。PDF形式。今年の6月21日、27日、28日、30日、7月4日と集中的にアップされている。見てみると釈文が書いてあるやつもあって、読んでいて面白い。

・「長沙呉簡一覧・統計表」(關尾史郎先生のブログ内記事)
http://sekio516.exblog.jp/3673459

 後者は長沙市文物考古研究所・中国文物研究所編『長沙東牌楼東漢簡牘』(文物出版社、2006年4月、7-5010-1857-X)と対応が効いて便利。

・「長沙東牌楼漢簡一覧」(關尾史郎先生のブログ内記事)
http://sekio516.exblog.jp/3839252