
・三国志学会第一回大会ノート3からの続き
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待ち時間、たいがあさんが持ってきた小川環樹先生による『三国演義』の訳本のの挿し絵を見せて貰っていた。その挿し絵はちょうど
昨日の三国志シンポジウムの上田望先生の報告で出てきた葛飾戴斗二世の絵だった。
次の司会は三国志学会副会長の金文京先生(京都大学人文科学研究所所長)。
○竹内真彦(龍谷大学助教授)「呂布には何故ひげがないか-三国志物語の図像と本文の関係について」
※以下、「1. 」といった番号に続くタイトルはレジュメのをそのまま使っている。
1. 問題意識
レジュメは4ページ、それに図像が10ページ。
図像の葛飾戴斗二世の呂布の絵(『絵本通俗三国志』)を見せ、髭があることを確認し、次に図像の中国の『絵図三国演義』の呂布の絵を見せ、髭がないことを確認した。
その後、図像の二枚目を見せ、呂布が貂蝉に言い寄る場面で日本(『絵本通俗三国志』)と中国(『三国志演義』周曰校本)での呂布の描かれ方の違いを見せた。あきらかに日本は美女にむさい男が言い寄っているが、中国のは美男美女。むしろ中国の方がなぜ美男美女に描かれるのかが疑問(本報告のきっかけ)
図像三枚目、上が『三国志演義』呉観明刻本の王允と策をねっているところ。下が虎牢関。ともにひげのない「白面の貴公子」
→こう描かれるには『三国演義』本文にはでていない「呂布の物語」があったのではないのか?
2. 呂布の物語
赤兎馬。『三国志』では関羽が乗っていないが、『三国演義』や『三国志平話』では乗っている。なぜ関羽は赤兎馬に乗っているのか?→関羽は物語中、英雄的役割だから。
呂布に物語があった? 『水滸伝』中に過去の英雄が出てくる。「小温侯 呂方」。登場人物が呂布の物語を背負っている
具体的にどういう物語なのか確認できない。
3. 呂布の物語
※以下の漢文はレジュメそのまま引用。
『三国志平話』
董卓見呂布身長一丈、腰闊七圍、獨殺百十餘人、如此英雄、方今天下少有。(巻一)
『三国志演義』呉観明刻本
時李儒見丁原背後一人、身長一丈、腰大十圍、弓馬熟閑、眉目清秀。五原郡九原人也。姓呂、名布、字奉先。(第三回)
『三国志演義』毛宗崗本(通行本)
時李儒見丁原背後一人,生得器字軒昂,威風凜凜,手執方天畫戟,怒目而視。(第三回)
古い『三国演義』(呉観明刻本)では「眉目清秀」となっている。まだあたらしくなると(毛宗崗本)では「威風凜凜」になっている。
呂布の「髭がない」とされるのはかなり少ない。ただこちらはそれほど古い歴史はない
もう一つの特徴としてかぶりものがあげられる。同じ者をかぶっている登場人物はそれほどいない。
図像の四枚目上、『三国志平話』に出てくる呂布のところ。はっきり呂布に髭がある。しかしかぶりものが共通している
→かぶりものに意味がある?
4. 呂布の装束
※以下の漢文は表示できるかぎりレジュメそのまま引用。
『三国志平話』
左有義兒呂布、布騎赤免馬、身披金鎧、頭帶[けものへんに解]豸冠、使丈二方天戟、上面挂黄幡豹尾
「関雲長単刀劈四寇」雑劇穿関
三叉冠雉鷄 抹額 蠎衣曳撒 袍 項帛 直纏 [ころもへんに荅]膊 帯 三髭髯 簡
かぶりものは『三国志平話』に「頭帶[けものへんに解]豸冠」とあり、『三国演義』に先行する雑劇に服装の指定が書かれているのがある。それが「三叉冠雉鷄」(かぶりもの)とあるが「三髭髯」(ひげの指定)がある。
「帶[けものへんに解]豸冠」」や「三叉冠」はいずれも図像のものではない。
→図像は「束髪冠」
※以下の漢文はレジュメそのまま引用。
『演義』呉観明刻本
頭戴三叉束髮紫金冠、體挂西川紅錦百花袍、身披獸面呑頭連環鎧、腰繁勒甲玲瓏獅蠻帶。弓箭隨身可体、手持畫桿方天戟、坐下嘶風赤兔馬。果然是人中呂布、馬中赤兔。人馬之中、漢末両絶。(第五回)
『三国演義』呉観明刻本では「三叉束髮紫金冠」。束髮冠とはどんなものか?
→図像四枚目下図。三才図絵から。
・『紅楼夢』の賈宝玉が図像(五枚目上)でつけている。本文では「束髪嵌宝紫金冠」となっている。ここは「束髪」に注目。
束髮冠とは何か?→古代の帝王、貴人(三王など)・公子(賈宝玉)がかぶるもの?
他の雑劇や小説でも束髮冠が出てくる。普通の武将がかぶるようなものではない。
5. 「連環記」再考──結びにかえて
『三国演義』では貂蝉は自発的に(王允の恩義に報いるため)計略をかけようとする。
→実は伏線がなくなっている
「錦雲堂美女連環記」雑劇(息機本)では呂布と貂蝉は夫婦で生き別れ、王允はそれを知りそれを利用する(貂蝉は身を汚すことを王允に強制される)
※『三国志平話』でも元々、夫婦。
→雑劇の方が原型に近い。
竹内先生の考えでは原型は呂布と貂蝉が復縁する話。呂布は善玉だったのでは?
→『三国演義』は全体的な流れで呂布を悪玉にする必要があり、夫婦設定はカット。その善玉設定が残って「束髮冠」であり「ひげがない」のでは。
○質疑応答
大学院生からの質問。京劇の呂布にひげがないことに前々から疑問に思っていた。「4. 呂布の装束」。雑劇の例でひげがあるとのことだけど、宮廷で上演されたものではないのでしょうか?(宦官が演じていたのでは?)
→もちろんそうだけど(宦官が演じていたが)、ひげをつけない場合もあるので解釈が難しい。同じ特性をもったものに同じような格好をさせる(同じ符号を与えられる)。※あとその例をあげられた。敵役の武将に髭をつける場合がある。他の例として忠義の符号を与えられた関羽と岳飛はかぶりものが同じ。(司会補足。明末からということですよね、雑劇ででてくるのは、ひげがないのは)
[けものへんに解]豸冠は後漢書輿服志か独断ででてきたのではないか?(※こまかいところは聞き取れず)
→ありがとうございます。
司会補足、[けものへんに解]豸は想像上の動物とのこと。
※清岡注。細かい議論が見えてこなかったけど、今、続漢書輿服志をみてみると確かに法冠のところに書いてある。あと手元の「
漢代の文物」をみてみると、ばっちり[けものへんに解]豸の画像と法冠の画像が載っている。しかし『三国演義』関連の図像と当時の冠は一致しないことの方が多いと思うので、これでたどると危険かも。
中国語で質問(劉先生か周先生だと思うけど失念)。司会が翻訳。
『三国演義』葉逢春本でひげがあるかどうか?
→ない。(そのころの)人物像が簡単なんでひげがない人が多い。そのため呂布にひげがないことに意味があるか不明。
というわけで午前の部は終わって次はお昼休み。
渡邉義浩先生がご飯の食べられるところについてのアナウンスが入り、聴衆はぞろぞろと会場の外へと動き出した。
・三国志学会第一回大会お昼休みへ続く
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