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三国志研究入門(2007年7月25日)


  • 2007年7月13日(金) 00:07 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,000
研究 日外アソシエーツというところから2007年7月25日に渡邉義浩先生/著、三国志学会/監修『三国志研究入門』という本が刊行されるとのこと。2300円。

・日外アソシエーツ
http://www.nichigai.co.jp/
・三国志研究入門(上記サイト内紹介ページ)
http://www.nichigai.co.jp/sales/sangokushi.html

上記ページを見ると、「三国志研究」とは言っても「歴史・文学・思想それぞれに焦点をあてて」いるようで、ここらへんは監修の三国志学会の取り扱う領域を反映しているようだね。

・三国志学会
http://www.daito.ac.jp/sangoku/
・『三国志研究入門』
http://www.daito.ac.jp/sangoku/book.html
※このページによると三国志学会の学会員は特別価格2000円になるとのこと。300円安。

目次などを見るといろんな単語がピックアップしてあって興味深い。個人的には思想のあたり馴染みがないので、触りだけでも知りたいところ。日外アソシエーツのページでは「序」を見ることができ、またそのページからはPDF形式で本文見本を見ることができる。本文見本で上げられているのは「第一部 研究入門篇」の「I 三国志をより深く知るには」のところ。監修とあって三国志学会中心の書き出しで、ここらへんこの本の意図するところ(仕掛けようとするところ)のシステマチックなものが見え、面白いね。
この見本で知ったけど、『三国志研究』第二号(三国志学会第二回大会のときに発行)に去年の三国志学会第一回大会で講演のあった「『三国志演義』嘉慶七年刊本試論」の翻訳が載るとのこと。版本の細かい話とか判りづらかったので、ありがたい。

・三国志学会第一回大会ノート5
http://cte.main.jp/newsch/article.php/405
・三国志学会第二回大会のプログラム発表
http://cte.main.jp/newsch/article.php/636

※追記 三国志研究要覧(2011年9月復刊)

※追記 ノート:日本における三国志マンガの翻案過程(2012年6月23日)

あまり関係なさそうだけど、三国志ジャンルの「歴史・文学・思想」というと創文社のPR誌『創文』で「三国志の世界:思想・歴史・文学」というシリーズを連想するね。私は未読だけど。

・三国志の世界:思想・歴史・文学(『創文』)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/627

<7月25日追記>
・關尾史郎先生のブログ
http://sekio516.exblog.jp/
・購入(07/07/25)
http://sekio516.exblog.jp/6160684

あ、そうか、復刊希望の多い『三国志研究要覧』のリニューアル本と捉えるのが自然だね。

集え!呉下の駿馬たち~熱き風のもとへ~(2007年8月26日)


  • 2007年7月12日(木) 00:09 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,769
アニメ 2007年8月26日18:00開演で鋼鉄三国志のイベント『集え!呉下の駿馬たち~熱き風のもとへ~』がスタジオコースト(新木場)であるとのこと。
7月11日に下記公式サイトで発表があった。詳しくは7月13日金曜日に公式サイトにて発表があるとのこと。

・「鋼鉄三国志」公式サイト
http://www.koutetsu-sangokushi.jp/
・速報!夏のイベント開催決定!
http://www.koutetsu-sangokushi.jp/admin/archive/77

--引用開始---------------------------------------------------------
■開催概要
会期/2007年8月26日(日) 
OPEN/17:00 START/18:00 END/20:00(予定)
会場/スタジオコースト(新木場)
http://www.studio-coast.com/

出演者/宮野真守、遊佐浩二、斎賀みつき、伊藤健太郎、諏訪部順一
スペシャルゲスト/camino 他

内容/鋼鉄三国志トークショー、ミニライブ 他

主催/鋼鉄三国志プロジェクト

■チケット価格(全席指定)
S席/5,500円(税込) A席/4,500円(税込)
※入場の際にドリンク代として別途500円頂戴致します。
--引用終了---------------------------------------------------------

前回の「放送直前!鋼鉄三国志前夜祭 ~集え六駿 駿逸なる風のもとへ~」は応募形式だったけど、今回は普通のライブのようにチケット販売する形式だね。

※関連記事
・「放送直前!鋼鉄三国志前夜祭 ~集え六駿 駿逸なる風のもとへ~」のレポート公開!
http://cte.main.jp/newsch/article.php/622
・2007年4月1日 放送直前!鋼鉄三国志前夜祭~集え六駿 駿逸なる風のもとへ~
http://cte.main.jp/newsch/article.php/494
・2007年2月16日「六駿倶楽部」(鋼鉄三国志の公式サポーターズクラブ)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/510

<7月13日追記>

「07/07/13 夏のイベント詳細は、本日夕方アップ予定です」

とのこと。こまめにお知らせ出してくれるのは好感が持てるなぁ。

<10月10日追記>

レポートがアップされたんだって。

・ビーウィーアネックス
http://annex.bewe.sc/
・イベントレポート
http://annex.bewe.sc/070826/index.html

「長沙呉簡の世界」ノート5


  • 2007年7月11日(水) 18:08 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,354
研究

・「長沙呉簡の世界」ノート4からの続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/448

※こちらの報告もまず中国語で行われ、後で日本語の要約が日本人の訳者により話される。中国語の判らない清岡は前報告と同じく聴いている振りをし日本語要約に集中していた。報告では、長沙呉簡の出土現場の写真を見せながら行われていたが、当然ながら、日本語の要約発表にはその写真は出されていない。

○報告V(14:10~14:45):宋少華(中国・長沙簡牘博物館)「長沙出土簡牘的調査」

 14時35分報告開始。まず宋少華先生の略歴を司会の方から紹介がある。長沙市の簡牘博物館の館長なんだね。
 会場の照明が落とされ、OHPで写真がスクリーンに映される。予稿集を見ると「一、調査的目的」(実際は簡体字表記、以下同じ)となっていて、まず長沙における出土簡牘について書かれていて、その次が「二、長沙二十世紀五十年代~七十年代簡牘出土的情況」となっており、その中で続く小タイトルが「(一)1951年・1952年長沙出土楚漢簡牘」となっていたので、1950年代から1970年代の長沙の出土簡牘についての解説をしつつ、それに関係する写真を出しているのだな、と清岡は思っていた。OHPの1枚目が報告タイトルでNo.2、3が出土場所を記した地図、と予稿集にメモをとる(以下、「No.」は清岡が勝手につけたもの)。
 「(一)1951年・1952年長沙出土楚漢簡牘」の中にさらに細かい内訳があって、「1、五里牌406楚墓,年代属戦國中期(公元前四世紀)」、「2、徐家湾401号墓,年代属西漢晩期(公元前四世紀)」、「3、伍家嶺203号墓,年代亦属西漢晩期」とあって、それぞれに説明文が添えられている。メモを見るとこの2と3にOHPのNo.4、5が使われており、3の中に説明がある「封泥」(写真?)にNo.6が使われている。
 「(二)1953年仰天湖25号墓楚簡」ではNo.7に分布図、No.8に楚簡の写真が映し出されていて、「(三)1954年長沙楊家湾6号墓」ではNo.9、10と写真が使われ、「(四)1972-1973年,長沙馬王堆一、三号漢墓出土簡牘」ではNo.11~13と使われ、その中に木[木曷]の写真があった。

※2007年3月にこのシンポジウムの報告冊子として『長沙呉簡研究報告』第3集が刊行され、このときの予稿集の日本語訳は掲載されたが、残念ながらこのときの図や写真などの発表資料は掲載されていない。

 次の大きな括りである「三、長沙二十世紀九十年代至本世紀初簡牘的發現」に移る。まずOHPのNo.14で現場の航空写真、No.15でその拡大写真を見せ、「(五)1993年西漢長沙王后“魚陽”墓出土封検、木[木曷]」(※『長沙呉簡研究報告』第3集でのこの箇所は「(五)」ではなくナンバーがリセットされ、「1)」になっている)ではNo.16にその墓の写真が出てきて、No.17,18で封検・木[木曷]の写真が出てくる。「(六)1996年長沙走馬楼出土三国呉簡」ではNo.19に出土した場所を示した地図、No.20に竹簡の写真、No.21に発掘場所の全景が来て、「(七)1997年九如斉(科文大厦)出土東漢簡牘」の話に移る(九如斉は走馬楼から200m離れたところにあるとのこと)。No.22にJ4と名付けられた古井戸の写真が出された。それからNo.23で全景が出され、「(八)2003年長沙走馬楼8号井出土西漢簡牘」に話が移り、No.24で8号井の写真、No.25で作業する人の写真、No.26~28で清浄後の簡牘の写真が出ていた。「(九)2004年長沙東牌楼東漢簡牘」に話が移り、No.29でまず全景写真、それからNo.30で出土したJ7と名付けられた古井戸の図が映し出された。
 このように時代を追って出土した簡牘についての解説があり、予稿集ではこの後、「四、長沙出土簡牘所見的一些特点」とタイトルで、長沙出土簡牘の考察が続く。小タイトルは「1、長沙的自然地理環境」、「2、簡牘出土地点保存条件」、「3、出土的時代特征」、「4、簡牘形制特征」、「5、長沙簡牘年代序列」、「6、長沙簡牘内容的特点」、「7、長沙簡牘埋蔵特点」となる。

 報告が終わり、その日本語要約に移る。
 これらのことは宋少華先生からいろいろな資料を含め改めて文章を書かれていると聞き及んでいるとのことで、詳しくはそちらを参照とのこと。報告では長沙簡牘について1950年代から現代に至るまでの状況について詳しく説明があった。出土状況について時期について二つの段階に分けられた。一つは1950年代から1970年代まで。一つは1970年代後半(文革以降)から現代まで。後者の中の1996年の長沙走馬楼の呉簡の発見、これ以降が特に重要とのこと。1950年代から1970年代までは長沙の郊外の地の墓葬から簡牘類が発見されたことを一つ一つ丁寧な紹介があった。1970年代後半以降、現在に至るまで墓葬や井戸から出土した長沙呉簡、九如斉漢簡、前漢の走馬楼漢簡、後漢の東牌楼漢簡も紹介された。今回、紹介のあった中には画像には未公開のものが多数含まれていた。後半部分はなぜ長沙でこういった簡牘が発見されたという理由について長沙の自然条件、2000年来、人が住み続けていったという状況と、土地の状況についての指摘があった。まず郊外に多く見られる墓葬については深く掘ってお墓を作っている、あるいは白膏泥、木炭を沈めているいること、密封性が高かったために簡牘類が発見できたとのこと。ただその簡牘類は少数。1990年代以降について、中国の経済発展に伴って、中心地での発掘が多くあって、井戸から大量の木簡・竹簡が出土した。井戸から出土した物について漢簡などがあるが、走馬楼呉簡(長沙呉簡)に関してはある一定の規則とまでは言わないまでも、本来保存すべき名籍類・行政文書などはある定まりで棄てられていた。まとまって棄てられていたことからある管理期間を過ぎた後に廃棄した物だと言われている。それに対してほぼ同じ地区から出た物、九如斉漢簡、前漢の走馬楼漢簡、後漢の東牌楼漢簡の三つについては生活のゴミのようなものと一緒に出てきたため、これらは長沙呉簡と違い、生活のゴミとして廃棄されたものでなかろうかと指摘される。


・「長沙呉簡の世界」ノート6へ続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/646

※2011,5/18追記。アクセスログを見ると、二日前から同一ホストから「東ひ楼漢簡」という検索語句があるんだけど、もしかして、「東牌楼漢簡(とうはいろうかんかん)」を「とうひろうかんかん」と読むという恥をふりまいているのだろうか。それともそういう名の漢簡が別にあるとか。※さらに追記。その後、別のホストから「東碑楼漢簡」という検索語句があった。なるほどね。「片」を「石」と誤ったんだ。※さらに2011,5/22追記。複数のホスト(うち地域が判るのは東京、立川や浦和)から「東牌楼漢簡」という検索語句が多くなってきたが、この現象、どこかで見覚えある。中央大学あたりでレポートが出ていたりして(笑)

メモ:「中国服飾史上における河西回廊の魏晋壁画墓・画像磚墓」


  • 2007年7月 8日(日) 15:09 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    6,191
研究  このまま日にちが経つと、私にとって「興味深かった」という印象が残るだけなので、自分向けにメモを残しておこう。何かというと、2007年5月26日に東方書店で買った『西北出土文献研究』第5号。それに収録されている小林 聡先生/著「中国服飾史上における河西回廊の魏晋壁画墓・画像磚墓―絵画資料における進賢冠と朝服の分析の試み―」という論文について。

・メモ:二つの学術刊行物
http://cte.main.jp/newsch/article.php/561
・神保町
http://cte.main.jp/newsch/article.php/608

 といっても私は専門にはほど遠い立場のまったくの素人で、しかも単に「進賢冠の梁の数はどう数えるの?」という素朴な疑問を知りたいだけなので、まったく論文の主旨とは外れたメモになると思う。

 とその前に、このブログは「三国志ニュース」と銘打たれているので、一応、三国志との関わり合いを説明。漫画なり映像作品なり三国志に関係する創作物のそのほとんどはどうも三国時代より後代の『三国演義』の挿し絵などを参考にしているようで、三国時代前後の画像史料に馴染んだ人にとってはおそらく違和感が残るものとなっている。違和感が出るものに服飾(服装)、鎧や座具なんてのがあるが、そのうちの一つに人物がかぶる冠があって、創作するに当たり何を参考にしているか顕著に現れる箇所であろう。

※参考リンク
・三国時代の建物など(「三国志ファンのためのサポート掲示板」内ツリー)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;id=;tree=2443
・三国志学会第一回大会ノート4
http://cte.main.jp/newsch/article.php/401
・メモ:三才圖會と三禮圖
http://cte.main.jp/newsch/article.php/480

※追記 「魏晋南北朝時代における冠服制度と礼制の変容―出土文物中の服飾資料を題材として―」(2008年度 東洋史研究会大会)

 別に「正史三国志ベースのマンガです」とセールスポイントを喧伝しつつ、冠が『三国演義』の挿し絵ベースであっても、作品の本質には関係ないんで良いような気がするが、ごく個人的な話だと表紙でそういった冠を見掛けると手にとって見ようとも思わなくなってしまったことが多々あった。あとマンガに限らず、ビジネス書や解説書の類で、「三国志正史が書かれている」とあっても表紙で当時の冠じゃないイラストなんかが描かれている上、人物がしていたら内容と無関係に購買意欲が完全になくなるかな……もちろんごく個人的な話ね。
※その前に「正史三国志」という用語を使っている時点で買わないか…こちらもごく個人的な話。

 それで、話を戻し当時の冠はどんなものがあるかというと、折角なんで論文から引用すると、

小林 聡2007「中国服飾史上における河西回廊の魏晋壁画墓・画像磚墓―絵画資料における進賢冠と朝服の分析の試み―」(『西北出土文献研究』第5号,90頁)
--引用開始---------------------------------------------------------
冠の場合,皇太子・諸王のための遠遊冠,主として文官のための進賢冠,主として武官のための武冠,監察官のための法冠,謁者のための高山冠などがあるが,官人の着用者数で言えば,進賢冠と武冠が圧倒的多数を占めたであろう.
--引用終了---------------------------------------------------------

とのこと。これを漫画など三国創作の話に強引に話題を持っていくと、最低限、進賢冠と武冠が描かれていればリアリティが増すのかなぁ、と個人的に思い続けているところ。作品の本質とはあまり関係ないことを書いていて恥ずかしくなってくるんだけど、恥かきついでに書くと、『八卦の空』では進賢冠がたくさん描かれていて、『江南行』では武冠がたくさん描かれている。
 それでそれらは実際、どんな冠かって話だけど、まず今回、触れない武冠については下記の記事参照。リンク先の絵はスケッチのスケッチなのであみあみ部分がかなり荒くなってしまっているが。

・メモ:武冠のあみあみ
http://cte.main.jp/newsch/article.php/502

 その次が本題の進賢冠。冠の形としては下記のリンク先のイラストみたいなものなんだけど、「梁」については今回、触れる話なのでそこは保留して読んでいただけると幸い。

・一梁?メモ
http://cte.main.jp/newsch/article.php/365

 話を戻し、今回のメモの主題となるのは「梁」の数え方。「梁」とは進賢冠の上部に縦に立っている線の部分。何の予備知識もなく、三つの線が縦に立っているのを見れば、素直に「三梁」(三つの梁)とカウントしてしまうんだけど、論文によると周錫保『中国古代服飾史』(中国戯劇出版社,1984)では


小林 聡2007「中国服飾史上における河西回廊の魏晋壁画墓・画像磚墓―絵画資料における進賢冠と朝服の分析の試み―」(『西北出土文献研究』第5号,93頁)
--引用開始---------------------------------------------------------
周氏は後漢時代の画像石や壁画に見られる進賢冠を多数挙げた上で,三梁冠を着用する官吏が広範に存在するのは文献史料と符合しないとし,両側の2本は「梁」でないと考え,これらは一梁冠であろうとしている(22).
--引用終了---------------------------------------------------------
(22) 周錫保『中国古代服飾史』(中国戯劇出版社,1984)

としている。
※以後、「本」と「梁」では意味(単位)が違うとする。

 これを裏付けることとして論文中では、後漢後期に属する河北望都所薬村1号壁画墓の前室西壁壁画を挿図(出典:河北省文物研究所編『河北古代墓葬壁画』(文物出版社,2000))と共に取りあげている。その壁画には「門下功曹」(挿図では「門」が削れている)という文字と共に三本の進賢冠を着けている人物が描かれてる。実際、文献と照らし合わせると、「門下功曹」は三梁ではないという理由から、「三本」≠「三梁」であり「三本」=「一梁」ということだ。その他の同様の例として遼陽三道壕張君墓の右耳室壁画の墓主像を挿図(□□支令という文字があり、つまり図中の三本の進賢冠をかぶった人は県令の身分)と共に取りあげている。
 この説に準じてか、作品として中国中央電視台製作/制作『三国演義』(TVドラマ)、前述の『江南行』(漫画)、『八卦の空』(漫画)では四本の進賢冠を見ることが出来る。

 ただ個人的には現時点でこの説に強い違和感を感じる。というのも五本や四本の進賢冠を出土史料関連で見たことがないし、それに対し、二本の進賢冠はいろんな文献に見られる出土史料のスケッチや拓本の写真(京都大学人文科学研究所所蔵の石刻拓本資料。ごくわずかながら)で見られるからだ。
 尤も今後、出土史料で五本と四本の進賢冠を見た上で、二本の進賢冠と思っていたものが、単なる写した際の情報損失だったというオチになる可能性はありうる。
 それに現時点では上記の「門下功曹」の例の説明はできないしね(「妄想」では文字では嘘をつけないが、絵では嘘をつけるとし、墓をつくった人が見栄で三本にしたのかな、とかあるけど・笑)

 話を論文に戻し、この流れで、一本の進賢冠の例が挿図付きで取りあげている。それが西溝7号墓の「騎導」画像磚(出典:馬建華編『甘粛酒泉西溝魏晋墓―中国古代壁画精華叢書―』(重慶出版社,2000))。つまり一梁進賢冠はこの一本の進賢冠ではないか、ということ。ただ画像が荒すぎてよくわからないのが残念。
 この挿図では進賢冠をかぶった人が騎乗しても、西晋の礼制に反しないという例として、長沙市金盆嶺9号晋墓の青磁騎馬俑が挿図(出典:富田哲雄編著『中国の陶磁 陶俑』第2巻(平凡社,1998))と共に取りあげられている。これも画像が荒いんだけど、個人的に図録(多分)からのカラーのスキャン画像を持っているんで、それを見ることが出来る。
※ちなみにこの騎馬俑は鞍に鐙がある最古の例(その墓から「永寧二年五月十日作」との紀年銘磚が出土したとのこと。永寧二年は西暦302年)として有名だったもの。
 この進賢冠の梁の部分を見ると、線や管ではなく面、つまり板のように表現されている。その面を写真でみると線あるいは管を表現しようとしているような凹凸が見られない。そこで私はこういった板状の梁を持つ冠が一梁進賢冠ではないか、と思って居るんだけどね。


※関連記事 佐原康夫/著『漢代都市機構の研究』(汲古叢書31 2002年)

※追記 メモ:漢中興士人皆冠葛巾

※追記 メモ:三国創作のための扶助会


※次記事 メモ:「党錮の「名士」再考」

※追記 メモ:「晋南朝における冠服制度の変遷と官爵体系」

※追記 画像資料に見る魏晋時代の武器―河西地域を中心として―(2012年3月)

※追記 リンク:模範解答でいいのか(ニュースな史点2012/4/30の記事)

※追記 ノート:日本における三国志マンガの翻案過程(2012年6月23日)

※追記 議事録:三国創作における視覚的研究材についての情報交換会(仮題)(2012年7月5日)

2007年7月6日『八卦の空』(ミステリーボニータ8月号)


  • 2007年7月 6日(金) 21:02 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,817
マンガ  中国三国時代を舞台とし、紀玄龍や管公明のコンビが神秘的な事件を解決していく漫画、青木朋先生/著『八卦の空』。先月の15日に単行本三巻が出て(下記リンク先)、良い感じで盛り上がってる。

・『ふしぎ道士伝 八卦の空』3巻発行(2007年6月15日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/626

 現在、月刊の漫画雑誌『ミステリーボニータ』(秋田書店)で連載している方は続き物の2話目。今回は巻頭カラー(扉絵がカラー)の40ページ。扉絵の玄龍の戎服姿は格好良い。あとボニータギャラリーという読者投稿コーナーに玄龍くんのイラストがあった。

※関連リンク
・秋田書店
http://www.akitashoten.co.jp/
・青木朋先生のサイト「青木朋HP++青青」
http://aoki.moo.jp/
・青木朋さん(私設)ファンクラブ
http://bluefan.exblog.jp/

・ミステリーボニータ8月号に「八卦の空」(ブログ『青青日記』)
http://blog.aoki.moo.jp/?eid=686250

<前回>2007年6月6日『八卦の空』(ミステリーボニータ7月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/618
<次回>2007年8月6日『八卦の空』(ミステリーボニータ9月号)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/663


 いつものようにネタバレ気味に。


 前回、寒食散の影響で、朱親方が石化してしまったんだけど、その寒食散の謎を追うのが話の一つの軸。材料の石髄の謎とかね。
 やっぱり魏伯陽の正体は単行本3巻の玄龍くんと管ちゃんの若い話に出てきた五石先生。玄龍くんがそのときのことを「黒歴史」と言及するところが妙に受ける(五石散で操られ管ちゃんの首を絞めてしまったってことなんだけど、縛られたり、その他でも「黒歴史」なんだよな、きっと)
 それから見開きで一気に五星将が公開される。土星将のマークは馬のマーク。何の獣だろ? 土星将は目の細い青年で地面を泳ぐ能力がある。それから金星将は女の子。

土星将 山子路
木星将 嵆木蘭
金星将 王金鈴
水星将 洪秀水
火星将 朱火煙

 こんなに一気に出したらキャラのインフレになっちゃうんじゃ、と余計な心配していたけど、それは杞憂だった。今回は朱火煙と洪秀水とを掘り下げされていて面白い。朱火煙の妙に無邪気なところ(行動とか)が魅力的だね(ナイフへの英語のネーミングセンス笑った)。秀水(オカッパ)の気持ちの揺れは感動もの。総じてこの二人の出自も含めた対比も面白い。次回も楽しみ。
 そういや紀玄龍は単行本3巻の話を引き継いで「水星将」属性なんだね。「龍」より「玄」をとったってことか。
 あと寒食散の正体は肉骨粉ってことで。