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6月28日(土)16時20分-16時50分
鳥取県米子市文化ホール
日本マンガ学会第24回大会 会場5(研修室2)
清岡美津夫「初掲載時の誌面において三国志マンガはどう紹介されたか」
Web site 記事
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6月8日(日)16時40分KOBE鉄人三国志ギャラリー&ZOOM
三国志研究会(全国版)例会
みなと「呉伐に関わる人物伝を読んでみるー羊祜伝(その6)」
竹内真彦「『晋書』文帝紀を読む(その12)」
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6月8日(日)13時東京市ヶ谷
三国志義兄弟の宴
SITE FB X 記・三国志ブラックジャック
・おくまんさんの紙芝居 テーマ太史慈
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後漢書何進伝を見ると、「無上将軍」を称する際、何進と共に数万人の兵を列べたり、営を築いたり、霊帝が鎧をつけたりと大がかりなことをしてますが、どうもセレモニーっぽく見えますね(笑)
「無上将軍」はどこかの地方の賊が自称しているみたいな響きで笑えるんですが、ちょっと前、その旨を知り合いに言ったら、愛宕元・冨谷至/編『中国の歴史 上』(昭和堂)に「太平道にも影響をあたえた初期道教の影響をうけているといわれ」と載っていると返されました。
確かに「無上」と検索すると『太平経』に「稱無上之君」とかそれっぽいのがいくつか引っかかるんですが、道家は馴染みがなくこれ以上、踏み込むと迷宮に入ったようになるので、踏み止まりました(汗)
ここらへんから何進と上軍校尉の蹇碩の対立構造が出てくるころなので、確かに小説のネタになりそうですね。