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9月10日(日)龍谷大学大阪梅田キャンパス&ZOOM
三国志研究会(全国版)例会
14:10-14:50みなと「呉伐に関わる人物伝を読んでみるー王濬伝(その7)」
15:00-15:50竹内真彦「『晋書』景帝紀を読む((その13:完結))」
16:00-16:50教団「第4回 北関東三国志ツアー開催報告(前篇)」
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9月17日(日)13時東京市ヶ谷
三国志義兄弟の宴
SITE FB Twi 記・三国志の○○ベスト5
・三国志ブラックジャック
・おくまんさんの紙芝居 テーマ:廖化
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(↑ともに説得力は今ひとつ)
漢代の雲南省に鐙があったという説ははじめて聞きました。
面白そうなので資料を探してみたいと思います。
また、鐙の登場を4世紀に片側から始まったとする説の物証になっているのは、
1958年に長沙の金盆嶺というところで発掘された騎馬俑です。
「永寧二年(=302年)の五月十日」と記された磚があった墓の中から多数の騎馬俑が出まして、
その中の3騎にだけ左側に三角形の鐙が付いていたそうです。
この鐙が付いた騎馬俑が載っている図録は持っていますが、ハッキリと鐙と分かるものですよ。
ただ、このように明確な造型をしている俑や鋳像は少なく、
「鐙のようなもの」が本当に鐙を写実したものか否かを判断するのは難しいんでしょうね。
自分も鐙の発生・普及時期には興味があるので、
南北朝・唐代の騎馬俑を見る際には鐙の表現や騎手の足の位置を確認してますが、
造形的には鐙を使っていないということになる像も多いですし。
まぁ、漢代のものに比べると割合が少ない気はしますけど……。