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2024年12月14日(土) 01:18 JST
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…といういきなりわけのわからんノリで始めますが、そういえば一年ぐらい前にすごくひっかかることをネット上で見かけたことを今、思い出しました。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/62#comments
↑ここのコメント参照です。
今だったら、件の疑問に答えられるようになったんだなぁ、と感慨深いものがあります……いやこれもみなさまのおかげなんですが。
後漢時代の県長クラスの冠は一梁の進賢冠です。武弁大冠は基本的に武官の冠です。
まず進賢冠と武冠の記述について続漢書(後漢書)輿服志より。
進賢冠、古緇布冠也、文儒者之服也。前高七寸、後高三寸、長八寸。公侯三梁、中二千石以下至博士兩梁、自博士以下至小史私學弟子、皆一梁。
(略)
武冠、一曰武弁大冠、諸武官冠之。
というように武冠は基本的に名前の通り武冠がかぶるものでしょうね(多分、県長は武官ではないかと)。
一方、進賢冠は上記にあるように位により梁の数が変わります。
中二千石以下、博士までが兩梁(二つの梁)で、博士以下から小史や私學弟子は一梁とのことです。
ここで博士の位はどれくらいかというと、続漢書(後漢書)輿服志の注に引く東觀書によると、
尚書・諫議大夫・侍御史・博士皆六百石
ということで、六百石のようです。
県長は続漢書(後漢書)百官志によると、
屬官、毎縣・邑・道、大者置令一人、千石;其次置長、四百石;小者置長、三百石;侯國之相、秩次亦如之。
ということで、県の大きさによって、四百石か三百石なので、おそらく一梁進賢冠ってことになるでしょう。
……というのが答えなんですけど、今さら書き込みに行くのも……って私のことだから書き込んでそうですが(汗)