『後漢紀』(後漢孝靈皇帝紀下卷第二十五)によると、
(中平六年四月)庚午、上軍校尉蹇碩下獄誅、兵皆屬進。
<清岡による訳>紀元189年4月25日、上軍校尉の蹇碩は獄に下り誅殺され、兵は皆、何進に属した。
とのことで4月25日は蹇碩の忌日。庚午の年月日は例によって
中央研究院兩千年中西暦轉換を頼りにしている。
宦官の蹇碩と言えば霊帝の寵臣で、西園八校尉のリーダーたる上軍校尉になっている。
しかし、蹇碩はその権力を支えていた霊帝の死後、もう一方の権力者である大将軍の何進により死に追い込まれる。
霊帝が亡くなってから14日後のことだった。
ちなみに31年後の4月25日に夏侯惇が薨去している。
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10月16日は霊帝が無上将軍を自称した日
4月11日は霊帝崩御の日
4月25日は夏侯惇の命日
※追記
4月26日は三国呉の大皇帝崩御の日
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