<目次>第2回三国志学会大会ノート(2007年7月29日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/679
<前回>第2回三国志学会大会ノート3
http://cte.main.jp/newsch/article.php/684
ここで事務局長(渡邉先生)からアナウンス。いろいろ持って帰ることができる研究紀要、学内誌やパンフレットの話を終えた後、
「このようなものを用意いたしましたので(とピーターラビットの絵の入った手提げカバンを掲げられる)、宜しければお持ち帰り頂いてということでございまして、中を開けると何となく大学の案内が入ってると思いますが、『諸葛亮の罠』だとして、親戚の方々にでも配っていただくという仕組みになっております」
と『諸葛亮の罠』で場内爆笑。
その後、構内の学食を含む近くの昼食の取れるところの案内と書店の案内をされていた。
去年の会場は大東文化会館だったので、近くのスーパーマーケット内にあった「ジンギスカン フランス人」(旧名)に行ったんだけど、今年は大東文化大学板橋校舎ということで昨日行ったジョナサンに行くのも能がないと思い、「手作りうどん 味の民芸」に行くことに(というか清岡が主張・笑)。道中はやはり先ほどの発表について。
<参照>三国志学会第一回大会お昼休み
http://cte.main.jp/newsch/article.php/402
民芸についたら、総勢8名居た。こりゃまた分かれて座るかな、と思ったら、実は同じところに座れるということで、しばし待つ。待っている間は『三国志研究』第2号は雑纂として一般の人の文章が載っており、実際、門戸を開いているんだなぁ、という話をげんりゅうさんとしていた。
USHISUKEさん
おりふさん
げんりゅうさん
三口宗さん
テ ー ブ ル テ ー ブ ル テ ー ブ ル
清岡 しずかさん 玄鳳さんの後輩
玄鳳さん
※玄鳳さんの後輩さんはげんりゅうさんの後輩でもあるとのこと
こんな感じの席順。お座敷。清岡は天ざるそばを注文。
この八名はきっと知らない者同士も居るだろうってことで、清岡がお節介にも自己紹介タイムを提案。玄鳳さんから時計回りにスタートし、名前とか所属とか軽く自己紹介。結構、
mixiではマイミク同士とかって話が出ていてそこらへん時代性を感じていた。
というわけで後は席の近いところでローカルトーク。清岡の近くでは京都への旅行話をしていた。市バスの一日券で名所を回るのが良いのかなとか。
そういう話をしていたら、向こう側の四人から何か話が飛んでくる。三口宗さんが晋書の訳が欲しいって話。
清岡「自分で訳してください、としか言いようがないですね(笑)」
という鬼発言で少し場をわかせる。んまぁ、一応、清岡からは、訳だとデータ化されてないんで、逆にネットでデータとしてある漢文(原文)の方が検索しやすい、という話でお茶を濁したが。げんりゅうさんも漢文読んだら派だったような。
こっち側では再び京都話に戻り、大凶コレクターの話になっていた。そうこうしている間に料理が一辺に来て妙に感動する。
食べながら、今日の会場移動は何故だろう、って話をしていた。移動前の会場のキャパシティが150名ぐらいだから、もし三国志学会会員の大半が来場したらさすがに入りきらないだろうって話。
食べていると周りがざわつき、そのうち稲光と雷の音が。驚いて外を見ると集中豪雨。まさにバケツをひっくりかえしたような雨だ。みんな傘の心配をしていた。
おりふさんが誰かシャッターを焚いていると思ったと言うと、すかさず清岡が「シャッターを気にするなんて有名人みたいですね」と茶々を入れる。
そういや第一回三国志シンポジウム後はこういった集中豪雨でしたね、と思い出話を口にする。
・2005年7月31日 サポ板プチオフ会
http://cte.main.jp/sunshi/w/w050801.html
一人一人レジでの清算を終え、どうやってこの雷雨かつ豪雨の中、会場まで戻るか、眼前の問題に直面する。
清岡は折り畳み傘を持っていて次の発表の時間が差し迫っていたので、意を決し外に飛び出す。
途中で落雷が恐くて脇道に逸れ、まずどこか建物に入ろうとしたが見つからず結局、遠回りになってより多く濡れるだけというアホな結果になった(汗)
<次回>第2回三国志学会大会ノート4
http://cte.main.jp/newsch/article.php/687
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