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第3回三国志シンポジウム 雑感4


  • 2007年9月 3日(月) 23:12 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,970
教育機関 <目次>第3回三国志シンポジウム 雑感(2007年7月28日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/661
<前回>第3回三国志シンポジウム 雑感3
http://cte.main.jp/newsch/article.php/675

 昼飯を食べ終え、会場に戻ってくる。時間になっても午前ほどは人が居なかった。前列の高校生がごっそり居なくなっており、本来の目的であるオープンキャンパスに専念したんだろうな、と思った。また後列の中年女性もごっそり居なくなっていて、これはやはり二限目の「「三國志」と書道」目当てだったのかな、と妙に納得していた。


○討論會

 13時40分スタート。
 壇上には司会の渡邉先生と午前の部で授業を行った三人の先生方が並ぶ。前回、前々回と同じく客席の最前列にはコメンテーター席が設けられており、向かって左から大東文化大学三国志研究会(というか○○ゼミ)、東京大学三国志研究会、早稲田大学三国志研究会が並ぶ。

・東京大学三国志研究会
http://sangokushiken.web.fc2.com/
・早稲田大学三国志研究会
http://www.jggj.net/3594

 今回も一般聴講している人たちからも質問できるように予め質問用紙が配られており、昼休みに回収されている。
※以下、かなり端折りつつレポ。もしかすると「ジンジャエール」を「死んじゃえ」と聞き違えるぐらいの聞き間違えがあるかも。

 初めは各大学の三国志研究会から質問。

●早稲田大学三国志研究会から三浦先生への質問。
Q.華佗は儒者指向とのことでしたが、なぜ動物ストレッチングのような道教のようなことをしたのか?

三浦先生「要するに…(マイクが入ってない)もうはじまっているんですかー?」渡邉先生「始まっていますよー」っていうやりとりに和やかな笑いが。

A.儒者だから道教的なことはしない、ってことにはならないと思う。歴代の儒者も五禽戯をやっている。単純には言えないのでは?

●東京大学三国志研究会から中林先生へ
Q.日中戦争時は三国志はどういうふうに利用されていたか?
A.三国志そのものがどうなのか当時の日本人がきっちり考えていたわけではない。そこに諸葛亮が使われるのは日本の文化人に合いやすい…要するに成功しないから(場内笑)。義経と同じ。一般の人はそういうものに頭を回すほど余裕があった時代ではなかったと思う。

●大東文化大学三国志研究会。三浦先生へ。
Q.五禽戯は(六禽や九禽とはあるものの、)五行にどう関係するか
A.五行説とどう関係するかは華佗自身、残していない。しかし、五行と繋げるという議論はできてきている。おそらく、華佗の段階でそういう考え方があって一つの思想として五禽戯を定義していったと思う。ただ五行だけで説明しきれないのがある。例えば亀とか蛇とか。

●ここで会場からの質問コーナー。中川先生へ質問が無かったので、司会の渡邉先生がそちらへの質問を探しあぐねていたら、会場右手から初老の男性から手が挙がり、質問用紙を介さず直接、マイクで質問。
Q.中川先生へ書に関する質問。王羲之の前の書としての鍾[夕/缶系]の書を知らなくて驚いた。まだ隷書の雰囲気が残っているが、これ以外の鍾[夕/缶系]の拓本があれば教えて欲しい。また鍾[夕/缶系]が隷書を書いたのか?
A.いくつかあるが具体的に今、名前が出せない。鍾[夕/缶系]の隷書体は目にしなかった。
A.(渡邉先生から)鍾[夕/缶系]が書いたと伝えられるものに「魏公卿上尊號奏」というのがある。

●早稲田大学三国志研究会から中林先生へ。
Q.なぜ吉川三国志は現在まで影響力があるのか?
A.「端的に申し上げて吉川だから」(場内笑) この後、あれこれ作家名を挙げたあとに「(吉川英治は)文章の出来が違います」。中林先生の世代では文章を声に出したときの耳障りが他の作家に比べて圧倒的に良いし名文だ。

●ここで司会の渡邉先生がこの質疑応答関連で会場の質問用紙から一つ質問を出す。
Q.研究会への質問。吉川三国志以外で北方三国志や宮城谷三国志などがあるが、どの三国志小説が好きか? とここで先ほどの初老の男性から手が挙がり、実はこの質問もこの男性の質問とのこと。

A.(早稲田大学三国志研究会から順に※言った順に番号をふる)1)吉川三国志、2)吉川三国志、北方三国志、蒼天航路、3)どちらかと言えば、北方三国志。
 3人目の人が○○も○○も三国志というツールを使って書いている云々と語りだしたとき、左隣のげんりゅうさんがアイタタという仕草をしていて面白かった。清岡は立場と心中を察して小声で「でも(自分語りは)すぐ終わったじゃないですか」とフォローを入れておいた。

A.4)吉川英治、それ以降は北方三国志、5)北方三国志、6)吉川も北方も読んだけど柴田錬三郎の三国志、7)完訳の三国演義しか読んでいないんでよくわからない、8)北方先生のハードボイルド小説のファンだったのでそのまま北方三国志

A.渡邉先生は吉川三国志、中川先生は原文。立場上、(小説ではなく)訳本を読んで下さいとのこと。あと三国志平話をプッシュしていた。ここで渡邉先生による三国志平話の解説が入る。そう中川先生は三国志平話を訳し、それがコーエーより出版されており、本の宣伝になっていて会場をわかしていた。

<参照記事>2005年7月31日「三国志シンポジウム」雑感2
http://cte.main.jp/newsch/article.php/153

A.ここで会場でカメラを持ってパシャパシャやっていた伊藤晋太郎に話が振られる。出会いは人形劇、その次に三国演義の訳本。日本の小説では通して読んだのが柴田錬三郎? 研究者の立場だと吉川三国志にしろ北方三国志にしろ彼ら自身の考え方、文章、強調したいところ、主観になってしまい、彼ら自身の文学作品になる。研究者としては三国演義の完訳本を読んで欲しい。

●東京大学三国志研究会から中川先生へ。
Q.三国時代の書道について、どの筆とか、どれに書き付けていたとか?
A.「わかりません」(場内爆笑) もう紙があった時代だけど今みたいに普及していないはず。かといって木簡竹簡だけの時代でもないはず。「(渡邉先生へ向けて)呉の地域から何か発掘されたんですよね?」 物が錯綜していた時代。
 渡邉先生から長沙呉簡の解説(明日、長沙呉簡の発表をされる谷口建速先生に話を振ろうとし会場内を見渡すが、見あたらないという流れから)
 ・長沙走馬楼という所から出てきた呉で使っていた竹簡木簡
 ・ビルつくってたら発掘された
 ・役所でつかっていた竹簡木簡を棄てたとか保存していたとか
 ・そこに書いていた文字数が陳寿の『三国志』より多い
 ・ですからいろんなことがわかるのではないか、と期待されている

 ここで客席から去年、サントリー美術館で展示されたという情報(※三年前が正解)。渡邉先生から再び馬王堆の帛書(絹に文字を書く)と共に解説。

<参照リンク>2004年9月7日-10月24日 古代中国の文字と至宝
http://cte.main.jp/newsch/article.php/232

●大東文化大学三国志研究会から中川先生へ。
Q.鍾[夕/缶系]が書の名人だったってことが『三国志』に書いていないのは何故か。
A.「それ陳寿に聞いてみないとわからないですね」(場内笑) 私自身、不思議に思っている。
A.渡邉先生個人の考えでは王羲之以前は書を芸術として捉える価値基準がなかったのでは、とのこと。

●質問用紙からの質問。
Q.各国の敗因はなにか? どこをどうすれば統一できたか?
A.(中林先生)中国の場合、中原を押さえたところが強い(晋が統一したという歴史が示しているように)。魏の人たちは魏以外の国があるのか、といった具合。そうなると蜀も呉も勝てない。もう一つは旗印(正当性)があった方が良い。もう一つは蜀という地方を押さえそこから天下統一した政権は歴代、一つもない。呉も同様。(ここで渡邉先生がホワイトボードに地図を入れたり図解をし始め場内をわかせる)。中原を押さえるか否か、中原を押さえないとダメ。(ここで南北朝の話に戻って行宮が云々)
 但し、何かあれば蜀に逃げ込むと大丈夫。(この後、四川料理や霧深い土地柄の話)

●質問用紙からの質問。三浦先生へ。
Q.華佗は人の首の移植に成功したという伝説があるが、麻沸散でそういうことができたのか(麻薬という説もあった)。
A.医学史とか華佗とか研究しているわけではないのでわかりかねるが、少なくとも『三国志』には無かった。麻沸散というのはいろんな説があり、麻薬であったかどうかもしらない。
Q.(三浦先生から中林先生へ質問)関羽像に関すること。
A.結構、いい加減に祀っているところもある(どれが関羽がわからない状態)。

●質問用紙からの質問。
Q.曹操が詩を作った建安文学に関する質問。それがどんな風に伝わってどんな風に受容されていくか
A.(会場に来ていた東京女子大学の安藤先生に話が振られる)樂府と呼ばれる民謡はそれ以前、民間に感情を抱き、特に個人の思いじゃなかった。そういう意味では文学史上、曹操が中国で最初の私人だった。
(清岡注※授業に関係しない質問なので、とっかかりが掴めず回答を理解できずに居た)

<参照リンク>三国志学会第一回大会ノート3
http://cte.main.jp/newsch/article.php/400

●早稲田大学三国志研究会から中川先生へ。
Q.三国時代の鍾[夕/缶系]以外の書家は居なかったのか? 魏の中では?
A.全く居なかったわけではない。個人名としてはなかなか難しい。
 (渡邉先生から)南朝の時に焼けたので現代に伝わってなかった云々

※ここで清岡は舞台の話をそっちのけで隣のげんりゅうさんに張紘は篆書が巧かったという話をしていた。そのためどういうやりとりが舞台で行われていたか聞かず。げんりゅうさんが中華書局の『三国志』を持っていたので、『三国志』呉書張紘伝の注に引く呉書を指し示していた。

紘既好文學、又善楷篆、與孔融書、自書。融遺紘書曰:「前勞手筆、多篆書。毎舉篇見字、欣然獨笑、如復睹其人也。」

●東京大学三国志研究会から中川先生へ。
Q.岳飛の書いた出師の表はどういう評価がされているのか?
A.僕自身の評価? 去年、拓本を買ってきた。非常に力強い非常に将軍らしい書だった。個人の評価は立派な書だった。

●大東文化大学三国志研究会から三浦先生へ
Q.中国のカンフー映画であれこれ蟷螂拳、蛇拳とか出てくるが、やはり五禽戯を元にしたのか?
A.五禽戯の中に蟷螂はないから適当かと。

●早稲田大学三国志研究会から中川先生へ
Q.鍾[夕/缶系]が七言八句の詩を献上するシーンは嘉靖本のみですか?
A.嘉靖本が最古で明代の版本にはある。毛宗崗本にはない。それは毛宗崗が七言八句の詩が当時、あることはおかしいと判断し削ったのだろう。
Q.他に削られたエピソードは?
A.漢寿亭侯のところ(しばし漢寿亭侯の解説が続く)。曹操が関羽に寿亭侯を送ったが受け取らず、漢を着けたら受け取ったというエピソード。関羽が曹操ではなく漢に下ったという意志表現。実は漢寿という地名なのでこのエピソードはおかしいとし毛宗崗はこれを削った。

●東京大学三国志研究会から三浦先生へ。
Q.五禽戯の他に華佗の業績は何か伝わったか?
A.医学史の専門家ではないんではっきり言えない。外科の麻酔は継承されなかったんじゃないか。

 ここで渡邉先生から三浦先生の専門の紹介。風水?道教?と来てなんでもできるになっていた(笑)。あと大東文化大学の中国学科は一年生のときに合宿があって、そのときに三浦先生から太極拳を教わるとのこと。

●大東文化大学三国志研究会から。特になし。

●会場から。
Q.『三国志』の記述等に見られる烏林・赤壁の位置に関する質問。
(※後で気付いたんだけど、質問していたのは簡俊さんかな)
 渡邉先生は駒沢大学の石井先生に話を振ろうと会場を見渡すも見あたらないため、中川先生に話がいく。
A.実際は烏林を指していると思う。

●会場から。何かよくわからない質問。

 15時終了。

 中林先生からアナウンスで前に飾っているフィギュアを欲しい人は持っていってとのこと。
 欲しいようで多くの人が一気に群がっていた(笑)
 ちなみにフィギュアはおそらく海洋堂NHK人形劇三国志フィギュア。
 あとこのタイミングで石井先生が来場されていた(笑)


 清岡はこの後、ネットの知り合い総勢七人でオフ会に行くこととなる。


・便乗プチオフ会(2007年7月28日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/678

※追記 まとめリンク:北方三国志

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